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zoom RSS 戒名の必要不必要は誰が言い得るのか?!

<<   作成日時 : 2012/08/07 02:24   >>

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立秋の海穏やかに暮れ行けり 玉宗

ある新聞社のアンケートでは、自分の葬儀を仏教式で行う場合、戒名(法名)が「必要ない」と答えた人は56%で、「必要だ」と答える43%を上回ったらしい。地域的な偏りや分析に対して疑問が残り、現状を正確に反映しているか釈然としないという向きもあるが、いずれにせよこの数字だけが一人歩きをする可能性は十分に予想される。必要ないと答えた人も必要だと答えた人も、戒名を授けられる意義というものを知っている数字であるかどうかは解らない。知った上で必要ないという人もいるだろうし、知った上で必要だという人もいるだろう。
それにしても葬儀を仏教式で行うとしていながら「戒名の必要不必要」といった設問事態に違和感がないではない。一体、戒名の必要不必要は誰が言い得るのだろうか?

曹洞宗の葬儀は「没後作僧」といって、亡くなった後に剃髪・授戒し出家した形をとり、その後に亡僧に準じての葬送儀礼が行われている。在家のままでの葬送ではないのである。授戒とは、仏弟子となることを約束したことであり、戒名はその証なのである。生前に「授戒会」で「法名」を受けて、本人の葬儀ではその「法名」を「戒名」として使用しても構わない。いずれにしても本人の自覚を前提とした話である。「授戒」を受けないまま亡くなった場合は故人の遺志があるなら問題は無いが、遺族が葬儀や戒名に関する意思を伝えるケースもあるのだろう。檀家であるということは仏式で葬儀を行うことを意思表示しているのであり、戒名が必要ないというのも説得力がない。

戒名が必要ないという疑問も解らないではない。俗名のまま、つまり在家のままでは葬儀ができないというのも私に言わせれば片手落ちの観が否めない。命に在家も出家のないだろう。諸行無常に在家も出家もないだろうというのが私の立場である。又、別の視点で云えば今の形の葬儀が必要か必要でないかという設問は、自分が仏教徒でいるべきかいるべきでないかという先決問題の前には色褪せる問題ではなかろうか。要するに、檀家であるかぎり、常識的には戒名は必要ないという要求が通らないのである。

宗門の葬儀の形が旧態依然のまま将来も引き継がれていくのかどうか、私には解らない。現状では回向文を現代語訳にしてみたりしているようだが、葬儀や戒名の意義は昔から民衆へと懇切に説明されて来たのには違いないと思っている。「形」の解りやすさも大事ではあるが、「形」に込められている「人生の一大事」をこそ伝える事ができるかどうか、儀礼を司る側にとってはそれこそが必要な問題意識ではないだろうか。







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月影に色とりどりの染指草   よし
yoshiyoshi
2012/08/07 03:39

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