再生への旅

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zoom RSS 大布薩・御粗末ながら生きております。

<<   作成日時 : 2012/09/01 04:12   >>

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秋めくやほとほと遠き昨日今日 玉宗

僧堂では「大布薩」という儀式が年に一度行われる。祖院では9月1日。弟子の孝宗も生れて初めての体験である。戸惑いながらも精一杯勤めていることであろう。
この講式は、正式には『菩薩戒大布薩式』という。菩薩戒とは、仏道へ入門するときに授けられる戒法(きまり)のこと。

菩薩戒を受けて仏弟子となり、毎月の15日と晦日に、導師の説く戒を聞いて、半月の間、仏弟子として、この戒法を犯さなかったかどうかを反省し、犯した者は懺悔して、清浄になり次の15日間を過ごす。この懺悔の式を『布薩』という。

そして、一年間の反省の総括をするのが『大布薩』なのである。
自らを反省し懺悔するである。この法要の前には、香湯風呂という薬草を溶いた湯につかり身を清める。法要は約二時間にわたる。その間、雲水さん達は正座し合掌しつづけたままである。身をもって反省するのだからけっこうキツイ。

お坊さんの修行と云えば闇雲にまっしぐら、思いこんだら命懸け、世間知らずの鰯の頭、マインドコントロールされている木偶の坊、すっとこどっこい、みたいな印象があるのだろうか?

実際のところはは、つねれば痛い五体をもった生身の人間がしていることである。それも若者である。
発心、誓願、修行、そして懺悔(さんげ)が彼等の日常底である。何度も何度もそれを繰り返し、愚のごとく魯のごとき歩みを進めているのである。どの道でもそうであろうが、現実には中々理想通り、基本通りにはいかない。脱線したり、横道に逸れたり、自己満足で停滞したり、大勢に流されたり、一歩進んで二歩下がる。そんなことをして身心についた癖を矯めていく。修行道場、そこは結構、やぼったく、おそまつな人間臭い現場ではあるが、曲がりなりにも執着を離れ、スッキリした人間が出来上がるものも確かである。

お前はどっちを向いて生きているんだ、と問われれば、碌なもんでない愚かな私と云う人間が、ちっとはマシな生き方がしたくて、仏の道を選び歩んでいると答えよう。煩悩塗れの人間である私が人間臭さを棚上げしようと七転び八起きしている。それは、御粗末ながらも仏の方を向いて生きて行こうとしている現実の一面でもある。仏の習いごとも一朝一夕にはいかないものだ。仏様の様な長い目で見てもらいたい。


  
 
 「生きてゆく力がなくなるとき」

    死のうと思う日はないが
    生きてゆく力がなくなることがある
    そんなときお寺を訪ね
    わたしはひとり
    仏陀の前に坐ってくる
    力わき明日を思うこころが
    出てくるまで坐ってくる

 

         (坂村真民『随筆集・念ずれば花ひらく』より)

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「瓢箪10句」

もう誰も愛してくれぬ瓢かな

青瓢世を儚みし父のもの

末生りの瓢箪でさへ愛さるゝに

形見とて瓢遺されても困る

先の見えたる父の育てし瓢かな

縁側の瓢気になる法事かな

瓢ほど妻を愛してみたかつた

にんげんは嘘つき瓢箪括れあり

瓢箪の尻に泪のやうなもの

なるやうになつてしまへり青瓢




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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
瓢箪を貰ひ始末に困りたり  よし
yoshiyoshi
2012/09/01 04:24

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大布薩・御粗末ながら生きております。 再生への旅/BIGLOBEウェブリブログ
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