再生への旅

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zoom RSS 珠のような命

<<   作成日時 : 2012/09/15 04:08   >>

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邯鄲や潮の如く夜が来る 玉宗


夫人と私は同じ昭和三十年生まれである。
夫人は10月、私は11月で、ひと月上の姉さん女房である。10月のカレンダーを見たら、自分の生れた日に「由美バースディー」と印がしてあった。自分で書いておくなんて、如何にもこれ見よがし。捲って11月を見ると何も印が付いていないではないか!夫人が自分大好き人間だとは思ってもみなかった。ちょっと、ショック・・・大げさかもしれないが、裏切られた思いがなくはない。

しかし、自分大好き人間をどうのこうの言えた義理ではない。誰が見ても私がそのような部類の人間であることは誤魔化しようがないように思われる。ましてや、私はお坊さんである。これって、どうなんだろう・・・って、言われても、誤解を恐れず言うが、正直なところ私は自分が好きでも嫌いでもない。ただ、一番気にかかることは確かである。放って置けない事がよくある。

それにしても、自分の事を置いといて外に眼が向くことの方が多いようにも思われる。眼は外に向いているのだから、当然のことなのかもしれないが、外へ向いた眼差しが翻って内面の真相を映しだすということもよくあることだ。内と外を行ったり来たりする思い、眼差し。どちらも自己の世界のことであり、どちらも私を映す鏡のようでもある。命は恰も透明な珠のようだ。

命という鏡に映る世界は捉えようとしても手をすり抜けてゆく虚像か夢のように頼りないとも言える。それでもやっぱり私は私を生きてゆくしかない。それほど私の命というものは関わり合って存在している。当に生きているとは目覚めていることに違いない。

鏡に反映し、或いは通り抜ける光りを目当てに生きてゆく、それが人生のようにも思える。

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大本山總持寺祖院御征諱会十五日差定

○早晨  照心端坐
       朝課恒規  御代香  山内役寮

○課罷  太祖大師献粥諷経
       焼香師 栃木県乾徳寺御住職 堀江 真澄 師

○     定賢律師御征会
       導師 祖院監院 今村 源宗 師

○午時  太祖大師御征忌献飯諷経
       御親香
  ※高祖大師光伴諷経
  ※太祖大師御征忌献飯諷経
  ※詣塔諷経

○     放生会
       戒師 祖院監院 今村 源宗 師

○     対真上堂
       

○     送真諷経
       導師  祖院役寮






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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
おはようございます
 鏡の中を出入りできればいいですね。
 眼が覚めたら鏡の外ですね。
湘次
2012/09/15 07:27
明星の真下に月は口を開け  よし
yoshiyoshi
2012/09/15 07:35

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