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zoom RSS 愚かさとは何か?再考

<<   作成日時 : 2012/09/16 04:12   >>

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草は穂に風は面影ともなへり 玉宗

人類はその「愚かさ」によって滅ぶだろうと指摘する人がいる。愚かさとは何だろう?

例えば「争い」といった「愚かさ」があるとしよう。
地球上にはお釈迦さまが世に出現される以前から現在に至るまで世界の各地で紛争、殺戮、貧困、差別など不安定要素が絶えない。日本もまた二度の世界大戦を経ているし、それ以前は国内での戦乱・国難の世が長く続いていたのである。
お釈迦様が亡くなられても、達磨さんが揚子江を渡って中国の山中に籠っても、道元禅師が中国で本師に邂逅され大事を了畢し日本に仏法を伝えても、良寛さんが越後の五合庵で韜晦の日々を送っていても、偉人や聖人が居てもいなくても、世に争いや不安や競争や政治の混乱がなくなった試しはない。それが価値のない笑われるべき愚かさだとしたら、神様は随分手間の掛ったことをするものだ。

地球が人類のためにある特定席ではないことを現代人は「客観的」には知った。古代の人達は天地に対して謙虚であったが、人類の歴史は母なる地球を文明という欲望のために随分傷めつけてしまった。そのことにも気付いている。そして、それが少し手遅れになっているのではないかと云うことも。争ったり手を拱いているている場合ではない。その様な事もまた救いようのない無知なる愚かさの故だとしたら、神様はもう人間を見捨てていらっしゃる。

地に鎖で繋がれたホモサピエンスは、世界に意味を持たせるべく、性懲りもなく、何度でも、魅惑に満ちた混沌の領域へ手を差しのばしてきた。その手には正義とか愛とか科学とか真理とか社会とか現実とか神とかに名を借りた欲望と云う名のひっかき棒が握られている。そのようなことが身のほどを知らないものの愚かさだとするなら、神様は人間を余りにも買い被り過ぎたのではないだろうか。

脳が巨大化した人類の歴史は、観念の彼岸を血肉化してきた生き物の歴史でもある。ものとこころ、内と外、生と死、永遠と今、等々、いのちに影為し光り為す二極のそのパワーバランスが、人類が地球上に生き延び繰り返してきた太古より変らぬ悲喜劇の真相であろうか。

愚かさとは何であるか?それは畢竟私たち人間一人ひとりの人間性に胚胎するものであろう。それが神様の思し召しだとするならば、神様も又、頗る悪意に満ちた非存在であると云わざるを得ない。






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寝たふりか知る者は無し龍淵に  よし
yoshiyoshi
2012/09/16 04:18

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