再生への旅

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zoom RSS 神が植えたところで咲きなさい

<<   作成日時 : 2012/09/19 04:33   >>

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叱られて空稲架降りる夕べかな 玉宗

先日、NHKテレビで 85歳で現役の教育者であり、ノートルダム清心学園理事長を務める渡辺和子氏というシスターの生き方と、その著書が放映されていた。
陸軍教育総監で二・二六事件の犠牲者、渡辺錠太郎(1874〜1936年)の次女として生まれ、上智大大学院を修了。29歳でノートルダム修道女会に入り、米国で修練を積んだ。そんな才女も、30代半ばという若さでノートルダム清心女子大(岡山市)の学長に任命された際は、困惑し自信を喪失してしまったという。そんなとき、ある宣教師が手渡してくれた英詩にあったのが次のフレーズである。

 「Bloom where God has planted you.(神が植えたところで咲きなさい)」

置かれた場に不平不満を抱えていては“環境の奴隷”でしかない。“環境の主人”となり自分の花を咲かせるには、「自分が変わるしかない」と、著者はそのとき改心したそうだ。禅語にも「随處に主となる」というものがある。縁に随って諸行無常を生きるとは、志がなければできることではない。執着なき本来の自己を生きることが出来る命の深さがある。そのような命の事実に気づかされた渡辺シスターの信仰の強さに感動する。

氏はまた、今を生きるコツといったものを語っている。

「八十五年生きてきて、若いころの戻ることはできないが、今という、一番若い命を戴いて生きているのです。」

確かに人は誰もがいつも、どこでも「今」という初体験を戴いている。命は繋がりながらも切れている。時間とはそのような命のことだ。そのような命のベクトルの最先端の事実を「今」と言い、「私」といい、「神」と言い、「仏」と言い、「生」と言い、「死」と言う。今、此処とは、そのような命の最先端の様子である。

シスターの笑顔には「神」に出会えた、「神」に包まれている、「神」に支えられている、「神」と一体である者の、本物の笑顔に溢れていた。「神」を「本来の自己」とすれば、私にはシスターの語る言葉の全てが仏道の世界と寸分も違わないもののように感じられた。

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『置かれた場所で咲きなさい』 渡辺和子著 (幻冬舎・1千円)

<境遇は選ぶことはできないが、生き方を選ぶことはできる>

<置かれたところこそが、今のあなたの居場所なのです。 咲けない時は、根を下へ下へと降ろしましょう。 「時間の使い方は、そのまま、いのちの使い方なのですよ。置かれたところで咲いていてください>

<結婚しても、就職しても、子育てをしても、「こんなはずじゃなかった」と思うことが、次から次に出てきます。
そんな時にも、その状況の中で「咲く」努力をしてほしいのです>

<どうしても咲けない時もあります。雨風が強い時、日照り続きで咲けない日、そんな時には無理に咲かなくてもいい。その代わりに、根を下へ下へと降ろして、根を張るのです。次に咲く花が、より大きく、美しいものとなるために>

<現実が変わらないなら、悩みに対する心の持ちようを変えてみる>

<いい出会いにするためには、自分が苦労をして出会いを育てなければならない>

<心にポッカリ開いた穴からこれまで見えなかったものが見えてくる>

<希望には叶わないものもあるが、大切なのは希望を持ち続けること>

<信頼は98%。あとの2%は相手が間違った時の許しのために取っておく>

<「ていねいに生きる」とは、自分に与えられた試練を感謝すること>







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内 容 ニックネーム/日時
稲屑火や人の暮らしの軽きこと  よし
yoshiyoshi
2012/09/19 04:38

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