再生への旅

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zoom RSS 国家と私・「現実」という化け物

<<   作成日時 : 2012/09/21 04:10   >>

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芋の葉も赤子包めるほどとなり 玉宗

韓国、中国、ロシアといった隣国との緊張関係が懸念されている。戦後の平和ボケした日本人にとって一筋縄ではいかない隣人であることを改めて突き付けている。平成の世に至っても国家という「現実」は様々な表情を見せている。国家の問題、国家の誇り、国家の現実、国家の尊厳、国家の権力、国家の権威等々。正直なところその存在感たるや、いつまでも収まらない胸やけのようだ。

「国家の真相」とはなんだろうか?

国家とは人間生活を維持する一つの形であろう。国家の問題、それは個人の都合の集積である。同様に「国家のタブー」とは「個人のタブー」の反映ではないだろうか。自己という偶像。国家という偶像。現実という偶像。人は偶像なしでは生きていられないが如くであり、社会とは「かたち」を求めて已まない人間の総意である。それほどに人間の「意」とは様々であり、離合集散しやすく、束に掛って力を発揮する傾向がある。

国家の問題、社会の問題、それが大衆呆けという個に決着がつかない「大人」たちの責任回避でなければ幸いである。「国家の正義」や「現実」の主張が更なる幻想や妄想や執着、つまり新たな「タブー」を生み出すことでなければ幸いである。自己を買被り、国家を買被り、現実を買被り、偶像を買被り、タブーを買被る愚考でなければ幸いである。

私は徒党を組むことに嫌悪さえ抱く人間である。徒党を組まれて痛い目に遭ったことにも因るが、徒党を組むことで本当の私が見えなくなることを知っている。それほどに私という人間は「弱い」のである。私は自分を見失いたくない。買被りたくない。タブー化したくない、人に傷つけられたくも人を傷つけたくない。「社会」とか「組織」という「化け物」に翻弄されたくなかった。「現実」という化け物に踊らされたくない。命ありのままでいたい。だから仏弟子になったようなものだと言ってよい。社会的に、生産的でも、有用でも、毒にも薬にもならない所以である。







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秋彼岸信心篤きひとの増え  よし
yoshiyoshi
2012/09/21 04:27

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