再生への旅

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<<   作成日時 : 2012/09/25 04:51   >>

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水引の花の咲き継ぐ虚空かな 玉宗


子供の教育現場での「食育」「いじめ」の問題、それは「いのち」の真相を知ることによって社会が一体となって解決していかなくてはならない生き方の問題ではないか。

生きている意味・意義はそれぞれが創り出し、見つけ出し、目指して行くべきものだ。子供はそのような生き方を周りの環境・人間から学び、真似る不安定な、可能性としての存在である。子供は理屈だけで動かない、理屈に感動はしない。理屈を超えた事実に心動かされる。だから、理屈そのものではなく、その応用を真似るしかない。子供が具体的に生きている世界は大人の世界の反映、真似ごとである。つまり、大人の在り方、生き方が試されている。そのことに大人はもっと真摯に向き合わなければならない。

「いのち」の実相を教え、具体的に、生の感動をさせるものでなくてはならない。
その「いのち」とは限りあるもの。刻々と変化する。可能性そのものの有り様。代る事が出来ないもの。関わり合いの真っ只中で存在するもの。欲張ってもしょうがない。思い通りにならないものである。
これらは全て、私の思い、都合、理屈を超えている事実である。この事実は一方的に与えられているものと言っても一向に差し支えないものであり、私の都合や思い通りになる範囲は時間的にも空間的にも極めて限られている。このような世界の在り方を仏法では「縁」という。

命は戴くものであり、生きるとはこのような「縁」を生きることに他ならない。そして尚且つ、与えられつつ、施している、関わり合っている。頂くだけではなく、施すこと、与えること、自己を虚しくすること。それを学び、真似て、実践することが大事ではないか。

目の前の「いのちの実相」をしっかりと見据えて、受け入れて、真っ直ぐよそ見をせずに自己に戴き、自己に施す。他己に戴き、他己に施す。大きな世界と一体になって生きていく。そこにしか欲望に振り回されず、ぶれないで生きていく人生はないと知るべきである。そのような「いのち大事に生きる生き方」、それこそが今の世に求められている「命の教育」の本筋ではなかろうか。





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【 日々の感謝 】
2012/09/25 07:08

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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
つくづくと人も縁や薮虱  よし
yoshiyoshi
2012/09/25 12:49

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