再生への旅

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zoom RSS 念ずれば花開く?!

<<   作成日時 : 2012/10/02 04:29   >>

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十六夜の月また仰ぐ眠るため 玉宗

皆さんは神社仏閣に参拝されたとき御本尊なり御神体に向かってどのようなお参りの仕方をされているだろうか。人知を超えた領域への畏敬の念を持ちながら、人間は様々な思いを抱いて手を合せ、頭を下げ、拍手を打つ。

「家族がみな幸いでありますように。健康で暮らせますように。病気が治りますように。宝籤が当たりますように。いい御縁がありますように。道中無事でありますように。死んでも命がありますように。災害が起きませんように。世界が平和でありますように。」
その他、口外を憚れるような呪いも又、本人にとっては一つのお願い事なのであろう。

私も欲深い人間である。事あるごとに神仏にお願い事をする。
「今日も何事もなくお勤めが出来ますように。御檀家さんが神仏の御加護を戴けますように。お賽銭が上がりますように。寺族が末長く仏様に仕えることができますように。」等々。
少欲知足を説くお坊さんにはあるまじき御願い事が多いことと思わないではない。若いころはもっと生々しいものが多かったが、年を取るにつれて御願い事も精選されてきたようだ。適わぬことがあることを現実に学んだ結果であろうか。

いずれにしても、どれもこれも、人生の四苦八苦から逃れたい、或いは、もの足りなさを解消したいという哀れな人間の為せる業ではある。

仏教詩人・坂村真民の「念ずれば花開く」はよく知られている。
念にも色々あるし、開く花にも色々あろう。仏道的に忘れてはならないのは「開くとき」が様々であるということ。神仏の時間や空間のスケールは大小や広狭の定義が常識を越えている。今日の願い事が明日という訳にいかない。一年先、十年先、死ぬ間際、或いは死後ということもある。或いは既に適っているという見方も出来よう。

それは「願い」という「思い、念、志」だけではなく、私の為した「行為、業」の連鎖反応の成り行き次第、或いは「今のいのちの在り様」の受け取り方次第。現実は「念ずれば通じ、念じなくても通じ、念じても通ぜず、やったようにはなり、思い通りになるとは限らない」というような現われ方をする。つまり、私の都合ではどうにもならない因果律があるようだ。

神仏という「時間と空間」を無くした現代人。それはつまり、「命いきる」慎ましさ、謙虚さ、遠慮、我慢が足りないということなのではないか。「念ずれば花開く」とは神仏と共に生きる覚悟を語っているのだと以前から思っている。



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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
鮎落ちて里の寂しさいやませり  よし
yoshiyoshi
2012/10/02 05:57
これまで書いていたものを整理していて、般若心経が沢山出て来ました。平成6,7年ごろが我家の歴史で一番激動の時だったようで、毎日のように書いていました。その願文が揮っています。というよりすごく深刻だったのですが、子どもの就職問題や、母の病、姉妹の家の幸せ、ひいては里の町長選、何か催しが成功しますようにとか。などですが書くことによって少しは気持を紛らそうとしたのだと思います。今になってみると、それらのことはすべて解決されているのが不思議のような気がします。
その後、般若心経であれやこれやお願いしてはいけないということを知り、「家内安泰、世界の平和」にとどまっているようです。
花てぼ
2012/10/02 12:19
祈りとは、願いのほかに、感謝、誓い、反省等などではないでしょうか。今は、毎朝、懺悔文の後に、家族を含めた人々の幸せを願い、私を含めた人々の利己心が治まるようにと祈っています。

2012/10/02 19:01

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