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zoom RSS 「いいね」の実体とは何か?!「ソーシャルネット依存症」

<<   作成日時 : 2012/10/26 04:08   >>

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石蕗咲いて光りのやうな花の色 玉宗

先日、NHKテレビで、「ソーシャルネット依存症」を話題にした番組が放映されていた。
手軽な情報発信、そして共有のツールとして使われている「ソーシャルネットワーク」であるが、番組では学業や仕事、育児に支障を来した依存症の症例と共に、「依存症を自覚した患者」のためのケアーが生れている現実も紹介されていた。

ブログ、FB、ツイッターといったものの本質、実体とは何なのかと今更ながらに思わされたことである。今現在、私はこのいずれにも手を染めている。夫人からはその「依存症」を危惧され、その「妄想さ加減」を呆れられている。本人には患者であるとか、妄想であるといった自覚がまだ希薄である。

番組では「つながり症候群」といった言葉も使われていたように記憶しているが、確かに、だれかと繋がっていたいという潜在意識はあるだろう。というより、それが前提と言ってもよかろう。誰にも分からないように、誰にも反応されないように、情報を発信、受信している図とは一体如何なる所業なのかと思わないでもない。

私がブログを始めたのは何度も書いているが、お寺の掲示板の延長として機能させたかったからである。当初から一方通行でいいとは思ってはいなかったが、要するに人がよくも悪しくも反応するに値する内容のものを発信しなければならないことは予想がつく。それは今でも変わらない。

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「つながり」ということで言えば、コメントや「いいね」や「お気に入り」などで反応して下さる方がいる。人との付き合い方の基本は何と言っても「目の当たり」に受け取り、対するものであろうが、それもまた「情報」であるには違いない。目に見える、目に見えないの違いはあるにしても「情報」を如何に処理するかが試されていると思う。仮想にしても、そうでないにしても、私が紡ぎ出し、引き出さなければならない「現実」である。

要はソーシャルネットといっても私の関われる世界には限度があることを知るべきであろう。「情報化時代」で世界は狭くなったといっても今、この時の「空間」の広さは目の前の畳一枚の話であり、私というあってもなくても世界に何の痛痒もない存在の情報である。「情報」は私の「分身」ではあるかもしれないが、「私の実体」ではないだろう。私とは「情報化」される、されない以前、以後の「混沌」である。闇であり、光りである。反応態そのものである。それは敢えて言えば「理解」を越えている。

「いいね」とは「あなたはあなたでいいね」、くらいに受けとって貰えれば幸いである。理解し合うにも手間が掛るものである。ソーシャルネットにはその「手間」がはぶかれているようにも見えなくはない。発信しっぱなし。多くは匿名であり、一見、自己責任といった言葉も死語に近い領域に見える。

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依存症になる要因の一つは、理解し合う手間を省いた「つながり」が歪なものであるからではないか。私は世界と繋がっていたかったのだろうか?私は世界を理解したかったのだろうか?ひとりでいることを本当に恐れていたのだろうか?私は私と和解したかっただけではないのか?そのような自問自答も無駄ではあるまい。
人生に於ける友とは数の問題ではない。人生に於ける理解とは数の問題ではない。よく指摘される「今を生きている実感、リアリテイの希薄さ」といったことも、自然と淘汰されていくものなのかもしれない。

自己の器に沿った情報の発信、受信ではある。「ものには限度がある」ということに回帰する人間のセンスを私は信じたい。この世界にも「淡交の礼儀」があってしかるべきであろうと思っている。何事も貪り、戴きっぱなしでは破綻する。

ブログもFBもツイッターも、あくまで自己を知る道具、方便である。たかが道具である。たかが方便である。されど道具、されど方便。「そのものに至る道」は、言葉やものの超越性、端的性を抜きにしては叶えられないのが現実であろう。文は人なりとも云う。ブログも人なり。FBも人なり。ツイッターもひとなり。出会いも人なり。誤魔化しが利かない世界である。言葉の持つそのような本質、超越性といったものの中で我々はやりとりしているのではないだろうか。





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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
虫果てて秋の背中が遠くなる  よし
yoshiyoshi
2012/10/26 06:50
私のものの見方考え方、俳句や短歌はどう評価されるのだろう、そのリアクションを知りたくてツイッターやブログを始めました。新聞等への投稿も同じです。リツイートやお気に入りが気になりだしました。いつの間にか、それを確かめるような時間の使い方になっていました。基本から学ぶことを忘れ、やみくもな発信に時間を費やしていました。妻にも揶揄されました。250名を超えるフォロアーが眼を通してくれていることも喜びでした。この辺でもう一度私は何故ブログやツイッターをするのかを考えてみたいと思いました。私をフォローして下さる方や私がフォローしている方と、どのようにコミュニケーションをとればいいのか、とれるのかが課題です。何回か、行き違いからいやな思いもしましたし、させてしまったこともあります。「淡交の礼儀」心します。ありがとうございました。

2012/10/26 18:10

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