再生への旅

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zoom RSS 枕経で感じること

<<   作成日時 : 2012/10/27 04:15   >>

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底なしの空に身を切る雁の声 玉宗


死者の枕もとであげる読経を「枕経」という。
末期の水を含ませ、手を合わせデスマスクを拝していつも感じることがある。それは「ごくろうさま」という言葉に象徴される感慨である。故人と私は殆ど他人であることが多い。にも拘らず、自然とそのような感懐が湧いてくるのをどうしようもない。まして遺族となった肉親達の思いはどうなのだろうかと感じ入らずにはいられない。おそらく、「ごくろうさま」そして、「ありがとう」であろうことは想像できる。

人はどれだけ別れや出会いを繰り返す事だろう。
今生の訣れ、そして、この世に遺されたという思い。 生きること。それはやはり一つの、つまり何かの「おつとめ」なのであろうと痛感するのである。私自身の身内を送った経験則からのもの言いではある。

何のために生まれてきたのか、と問う人は多い。なぜなら、それは余りにも後に引けない現実だから。人生の意義は人生と共に育まれて行くしかない。然し、何のために死んでゆくのか、と問う人は少ないのではないか。何故ならそれは余りにも不透明な答であるから。存在しなくなる目的を受け入れることは難しい。

「死」という最後の「おつとめ」を受け入れるための人生。生きていることは死を受け入れるための試行錯誤のようにさえ見えてくる。「死」を受け入れるための「生」。「死」があるからこその「生」。「有る」ことは「無い」という条件の元に成り立つ、そんな命の表裏一体性。

そのような命を戴く人生のお勤めに、「ごくろうさま」、そして、「ありがとう」と言える人間でありたい。仏弟子でありたい。




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秋深し野にも山にも黙礼す  よし
yoshiyoshi
2012/10/27 06:41

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