再生への旅

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zoom RSS 里山つれづれ

<<   作成日時 : 2012/11/11 05:29   >>

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綿虫や光陰淡くありにけり 玉宗

町内を散策していると綿虫が目につくようになった。雪虫、雪蛍、雪婆、白粉婆、大綿とも呼ばれる晩秋・初冬に青白く光りながらゆるやかに飛んでいる。というより、浮いているみたいな感じである。いづれにしても、この虫が舞うようになると冬の到来を実感する。ゆっくりと密やかな、そして確かな冬の足音。

人気の少ない輪島の里山には、慎ましくも、逞しく自然と共に生活している田舎の人達の静かな気息が感じられる。「過疎」と言ってしまえば簡単な話であるが、なんて嫌な言葉だろうと思う。経済効率重視の世の中に置いてきぼりをくった、ということなのだろうか。人生の豊かさとは何なのかと考えさせられながら田舎暮らしである。ものがなくては生きて行けない。それは人間の宿命であろう。そうではあるが、ものに先走りされている現代には何か釈然としないものがある。ものを使い捨てるように心を清算できると本気で思っているのだろうか。

こころを豊かにするものがある。こころを貧しくするものがある。ものに流されるこころがある。ものを活かすこころがある。ものとの出会いも一期一会であろう。それはつまり、私の命であるということだ。貧しく過ぎた日々も掛け替えのない私の命であった。惜しんでも悔んでも羨んでも二度とない、そのような私だけの時の流れ。そのようなわが命と折り合いをつけることができなくて、どうして未来が開けようか。田舎を切り捨てるような日本に、豊かな未来など私には展望できない。

様々な人生を包んでいる山ふところも、秋の装いを解いて冬の眠りに就こうとしている。今はまだ眠りにつく前の、ちょっとした欠伸のような日和である。

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「縄跳び」

綿虫や光陰淡くありにけり

綿虫の空が絶壁なせりけり

缶蹴りの鬼はかなしや雪婆

風邪気味の妻のまなこや胡乱なる

蟷螂の枯れし眼に映るもの

マスクしてまなこばかりがものをいふ

縄跳びへ入水のごとく飛び込みぬ

縄跳びのひとり欠けゆく夕間暮れ

縄跳びに身を投げてより恋多き

縄跳や跳んでも跳んでも父はなく





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