再生への旅

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zoom RSS 衆生本来仏なり 「雲水さんの接客作務?!」

<<   作成日時 : 2012/11/25 05:08   >>

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赤き実のあらはに冬のさびしさよ 玉宗


昨日から門前町の總持寺通りでは「新そば祭り」が催されている。
通行止めにした總持寺通り商店街を会場にテントが設営され、蕎麦の他にもいろいろな店が並んでいる。通りの中に連なる興禅寺の目の前には總持寺祖院専門僧堂が「朝粥・善哉」を振る舞っている。境内で採れた銀杏の実も販売していた。販売員は雲水さん達である。

商店街活性化の一環として始められた「そば祭り」に祖院が出店参加するようになって十年以上は経つだろう。私も祖院に出仕していた折に一度だけ店に立ったことがある。出店参加し始めた頃のことだ。

雲水さんたちが町民と一緒に催事に参加するというのも門前町ならではの風景であろう。常日頃から町民の方々は若い修行僧さん達を目にして、親しみを感じている。違和感なく町の空気に溶け込んでいるのである。少子高齢化に歯止めのかからない町ではあるが、若いお坊さんだけは居なくなったためしはない。

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弟子の孝宗も交代で接客作務を勤めていた。仏道が衆生と共にあることを如実に実感する機会でもある。社会に於ける自己の立ち位置に気付かされる現場でもあろう。同じ人間でありながら、在家と出家。似て非なるものであることも確かである。

「衆生本来仏なり」「仏本来衆生なり」「衆生本来衆生なり」「仏本来仏なり」

衆生と仏。上下や貴賎を言っているのではないが、一如とは味噌も糞も一緒だということではない。執着すべき「一」などない事に覚醒しろと云っているのだ。諸法と一体であるが故に仮に「一」と呼び、「仏」と呼び、「衆生」と呼び、「わたし」と呼ばしめている。「如」とは私が私であり、あなたがあなたである以外のどこにも命の決着する現場はないのだということ。身心脱落せよということだ。それもこれも縦横無尽の今の命の在り様をそのまま受け入れようとする仏道の正道なるが故である。

それぞれが拘りなくそのような自己に徹する以外に、一体となり、和合し、永遠に繋がる方途はない。

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といったような、小難しい理屈を越えて、雲水さん達は今日も一日「接客作務」に精進している。美しいなあ。今日も善哉を買って食べよう!




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