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zoom RSS 「今よりほかに何かある?!」再考

<<   作成日時 : 2012/11/29 04:11   >>

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父と母いづれ恋しき浜千鳥 玉宗

そろそろ年賀状を書き始めようと、以前のものを整理していたら、板橋禅師樣から頂いた年賀状につぎのような文が書かれていたことを再確認した。

<「今よりほかに何かある?」息をしているこの「今」の事実を「いのち」とも「ほとけ」ともいう。「今」が一番長い刻・とき。今年もよろしくお願いいたします。>

「今が一番長い刻・とき」に目から鱗である。「今」の様子。それは新しく古く、なんともなくて深く、捉えどころがなく確かで、様々でありながら似たりよったり。どうしようもなくて有り難く、自在でありながら誤魔化しがきかない。そのような真相の後先に思いを巡らし逡巡し二の足を踏み宙に浮いてしまう「私」。「今」を疎かにしているわが日常であることよと反省させられる。ぶっ続きでありながら、そのときそのときで円成している「今」。それが「ほとけ」であり「いのち」であり「時間」であり「自己」の正体なのであると云う。坐禅はそのような「今」を自得する威儀であると言いたい。

命というも今よりほかはなく、今というも生きている命の事実であり、成仏とは「今」が「今」になるばかり。過去も未来も永遠も善悪も損得も迷悟も、「今」の生き方に胚胎している前後左右といったものであろう。仏道と云うも諸行無常に徹する端的を言っている。悟りとは諸行無常の流れに何かを一枚足したり、引いたりするものではなかろう。

「今」よりほかに何かある。それは命が命にあるがままに落ち着く。それ以外になにがあるのかと云っているに等しい。私に拘る視座の誤りを指摘していよう。然程かように、人間とは今を迷う事に専念しているがごとき愚かさを重ねている。人生とは生れて、生きて、死ぬばかり。そうではあるがそれは命の自ずから然らしむるところであり、仏道とはそのような事実をどのように戴いていくかという話しである。今を真っ直ぐ戴く実践であり、威儀であり、即仏である。

「今よりほかに何かある?!」

私が私であるほかに何かある?!諸行無常が諸行無常であるほかに何かある?!「?」が「?」であるほかに何かある。「!」が「!」であるほかに何かある。自己が自己であるほかに何かある。「無」が「無」であるほかに何かある。「生」が、「死」が、「因果」が、それぞれがそれぞれであってなんともない。そのような有難いいのちを迷わず生きる極意というものを示している言葉であると心得たい。妄想の世界で右往左往するなどとは実に口惜しいことではないか。


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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
てん手鞠 弾むいのちや ときめいて
赤き実寄り添ふ 息白い朝
貧女の一灯
2012/11/29 06:51

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