再生への旅

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zoom RSS 今日の諸行無常・結婚忌

<<   作成日時 : 2012/12/12 05:14   >>

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帰らざる月日の如く雪嶺あり 玉宗

今日は私共夫婦の結婚記念日である。
金沢大乗寺で当時住職であった板橋興宗禅師を戒師とし式を挙げた。式が終って外に出ると、霙交じりの荒れ模様。雪起しも轟くはで、前途多難な二人の将来を暗示しているかの如くであった。昭和六十年のことである。

往時茫々。振り返れば、確かに様々な事があった。人生模様という山河に相応しいし、そして過ぎてしまえば全てあってなきが如くである。夢うつつとは言ったものだ。
思えば、夫婦とは人生の同志のごとき存在である。世に破れ鍋に綴蓋という穿った見解もあるが、長年連れ添っているとそれは確かに事実であると認めたくなる。もともと赤の他人が一緒に暮らすのである。相手の短所も長所もすべて受け入れるのには「恋心」といった「妄想」だけでは片付かない現実があろう。お互いに生身の人間である。

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その出会いとはなんと言ってもやはり「縁」としか言えないものである。人は良縁を望むが、「縁」の本質は「選べないもの」である。だからこそ人生の宝なのであり、その宝をどう活かすか、どう生きるかによって、「夫婦」でいることの「縁」に意味や夢が生まれるであろうというものだ。夫婦とは別れてしまえばどちらも人生の敗者だといった指摘もされるが、生きることの本質が再生ということであってみれば、連れ添いながら何度もやり直し、再生できる夫婦もいるだろうし、離婚と言う再生の契機を選択する人間もいよう。どちらが幸せであるかといったような事は犬も喰わない夫婦喧嘩と大差のない問題である。

そのようなことなどをつらつら思えば、結婚記念日とは結婚という人生の墓場から再生し今に至っている結婚忌でもあるともいえようか。ゾンビのように浮かばれないで現世を浮遊しているかの如き思いがないではない。それにしても、人生の同志としてお互いに共に生きてきたことへ感謝と思い遣りが月日と共に湧いていることも事実である。

神様とは気まぐれであるが、粋な計らいもするものである。




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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
ご結婚記念日おめでとう御座います。
神様の粋な計らい・・本当に嬉しいですね♪
たか子
2012/12/12 10:16
おめでとうございます。あたたかな気持ちで読ませていただきました。ありがとうございました。
 言ふならば馬鈴薯のやうな妻である
先日、私も妻への感謝を句にしました。

2012/12/12 15:09
結婚が「恋の墓場」であるのは確実ですが、人生そのものの墓場というには異論がありそうです。それとも、お寺の「忌」とは、記念日というほどの意味でしょうか。
志村建世
2012/12/12 21:35
夫婦の縁を神様の粋な計らいと思える者は救われる。アーメン
花てぼ
2012/12/14 21:06

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