再生への旅

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zoom RSS 今年最後の法要・永福寺祠堂経

<<   作成日時 : 2012/12/24 04:26   >>

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子を呼んで初めての雪仰がしむ 玉宗

昨日は永福寺成道会と祠堂経法要であった。
永福寺は檀家がなく宗派が違ったり、菩提寺を持っている信者さん達の帰依をうけて護持しているお寺である。余所のお寺の檀家だから、お参りしないとか、お参りさせないとかいったような狭い根性が能登にはない。それなりの礼節を保ちながらも、篤い信仰の対象となるのであったら参拝するという風習がある。そうはいってもお葬式はわが菩提寺に頼ることは譲らない。祈祷寺でもある永福寺は現世利益を求める信者の帰依を得ているのが実際のところである。

差 定

祠堂経
 上殿・拈香法語・普同三拝・歎佛・修証義一章 (遶行二匝)・回向(導師読み込み)

献燭供養
 拈香法語・大悲心陀羅尼・回向(導師読み込み)

塔婆供養

法話(方丈) 

成道会正当
 拈香法語・普同三拝・大悲心陀羅尼・三佛忌回向・普同三拝

 成道粥喫粥・了而・参同契・普回向


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法話では今年一年を振り返り、「継ぐ」ということについてお話させて戴いた。
弟子の孝宗が僧堂へ修行に上がったことで、師匠の私も又、改めて精進の歩みを後押しさせられている。後継者へ遺すものにも様々なものがあろうが、諸行無常、有為転変の人生にとって何が最善の形見であり、遺産であるか。恒産なければ恒心なし、とは一般的なところである。ものという財産を遺して置くことも大事であることは否定しないが、それと併せて、否、ものをものたらしめ、こころをこころたらしめる人生の一大事因縁があろうというものだ。それはほかでもない。私の生き樣、生きる姿勢といったものがなによりもの形見ではないかと語ったことである。

弟子の僧堂での修行ぶりや後継者である彼に遺してやるには苦労の多いであろうお寺の現状や世の中の流れなどを想い、語っているうちに、不覚にも胸に迫るものがあり言葉に詰まり、落涙してしまったことである。今年最後の泣き納めといったところ。相も変わらぬ泣き虫坊主ではある。

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法要の終るころには外は真っ暗で、冷たい雨が降り出していた。毎年のことながら定めなき北国日和の中での夜伽である。雨は雨なりに、雪は雪なりに、今年もまたこころ静かな年の瀬を迎えようとしている。






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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
何故でしょう、急に、
 学問のさびしさに堪へ炭をつぐ 山口誓子
を、思い出しました。
御法話、拝聴したいものです。
ありがとうございました。

2012/12/24 15:49

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