再生への旅

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zoom RSS 仁義ある托鉢

<<   作成日時 : 2013/01/23 05:06   >>

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寒闌太鼓念仏賑やかに 玉宗

寒行托鉢も後半へと入った感がある。
例年のことだが大寒を過ぎた頃から輪島市内の寒行托鉢も様子が変わって来る。寒の入りから大寒までは私一人の鈴の音が聞こえているのだが、後半になると宗派の違う行者が増えて、鉦や太鼓や読経やで、結構賑やかしい。先日などは太鼓と私と總持寺祖院僧堂一行がかち合い、宛らチンドン屋のデモンストレーションかと耳を疑うほどだった。毎日のことではないが、家の中の人達はどんな思いで聞いているのだろうかと少し心配になる。

太鼓の行者さんは知人でもあるので、ニアミスしないようにお互いにコースを変えたりして暗黙の仁義を通している。太鼓の元気さに比べると私の鈴の音は如何にも地味である。大声でお経を挙げるのにも限界がある。3時間もそんな真似はできはしない。それでなくとも後半になると最近は喉の調子が悪くなり、声が出難くなる。多勢に無勢。太鼓に鈴である。縄張りなどといったものを主張する筋合いのものでもないので、いつも引き下がる様にはしている私である。

それもこれもお寺の都合より、喜捨をして下さる人達のことを思えば、すこしでも気持ちよく喜捨して頂きたいといった思いがある。私でなけれなならないと言い張る筋合いは本来どこにもない。布施・喜捨という「行」はお坊さんの為にするだけではない。実践する人自身の「清浄行」でもある。お坊さんはその点を忘れてはならないだろう。

それにしても、輪島市には喜捨を実践される人が実に多い。敬服に値する。お坊さんはそれに応えるような存在でなければといつも襟を正される。お坊さん同士の仁義だけではなく、喜捨をされる信者さんへの仁義も尽くさなければならない。


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「喜捨」


母の背へ戯れに打つ雪礫

雪礫川の流れに擲てり

寒鰤を捌きたる手が喜捨をせり

他人事と思へぬ猫のかじけぶり

久女忌や怒れる如き女文字

捨てられはせぬかと思ひ葱を買ふ

一本の葱抜きに出る夕間暮れ

見てごらん人間なんて竈猫

赤点の答案用紙つらら折る

雨音の懐かしくある蒲団かな






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