再生への旅

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zoom RSS 追うことも逃げることもない生き方

<<   作成日時 : 2013/02/01 04:10   >>

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うすらひや心もとなき旅の朝 玉宗

今日から二月である。
うかうか過ごしていると逃げてしまう。二月は逃げてゆく、そんな月と言われている。日数が二、三日少ないだけで、確かに二月は「あっという間」という実感を伴う月ではある。

寒行托鉢も節分まで。立春から三月まで能登では涅槃の月でもある。輪島、門前と教区寺院の涅槃会が続いている。輪島は二月、門前は一ヶ月遅れの三月に法要がある。涅槃団子作りもある。そんなこんなで、例年二月は雪解けの喜びとともに、本格的な寺務の忙しさが始まると言った感がある。余談ではあるが、追っかけごっこはスリリングではあるが、子どものころから余り得意ではなかった。どちらかと言えば、逃げたり隠れたりする方が上手だった記憶がある。三つ子の魂百まで。今でも思い当たる節が大いにある。

托鉢はまだ私のペースでこなせるが、恒期法要などはそうもいかない。檀信徒や寺院との付き合いも考慮しなければならない。実体は貧乏暇なしといったお寺ではあるが、思えば予定された行事が控えているというのも有難いことである。誠意を尽くして行じていかなければならないことは言うまでもないが、自己を晦まさないといった仏道の肝心要を失念したくもない。

仏弟子とは逃げも隠れも追うこともない自己を確立することが理想である。始まったばかりの二月で、いきなり愚痴をこぼしているようでは今年も心もとない二月になりかねない。どんなに惜しんでも光陰は過ぎる。どんな欲張っても光陰は過ぎる。光陰は光陰として行ったり来たりする。光陰とは私の今のいのち、その戴き方に他ならない。そのような縁、そのような流れ、そのような諸行無常を生きる他ない。人生に、それ以外の何を望むことが出来るのだろうか。私には分からない。

追い掛けるでもなく、逃げるでもなく。常に真っ直ぐ行持と向き合い、受け入れ、活かし、行持に押されて行く。余念なく精進できればそれでいい。


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「寒卵」

定型の危ふさにあり寒卵

老いの手にいささか重き寒卵

家といふ仄暗きもの寒卵

笹鳴きのそこにゐるさへ覚束な

一人では怖くて喰えぬ海鼠かな

日向ぼこ今更恋も億劫で

霜焼けを土産に国へ帰りけり

おいらくの恋の沙汰日野草城忌

父と子の声掛け合うて雪卸し



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