再生への旅

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zoom RSS 究極のお節介・「自未得度先度他」について

<<   作成日時 : 2013/02/13 01:02   >>

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待つことの幸ひ春潮ひた寄する 玉宗

宗門には「自未得度先度他」という指標がある。「自ら未だ度らざる先に他を度す」となり、自らが救済される前に、まず他人を救済し、幸せにしようと願うことである。そして、大乗仏教の菩薩が理想とした衆生救済の論理である。利他救済の心のことであり、それこそが菩提心を起こすということで、発菩提心とも謂われる。
道元禅師のお諭しにも以下のような同様の宗旨を敷衍するようなものがある。

「己れ未だ渡らざる先に一切衆生を渡さんと発願し営むなり」

「発心とは、はじめて自未得度先度他の心をおこすなり。これを初発菩提心といふ。この心をおこすよりのち、さらにそこばくの諸仏にあひたてまつり、供養したてまつるに、見仏聞法し、さらに菩提心をおこす、雪上加霜なり。」

「衆生を利益すといふは、衆生をして自未得度先度他のこころをおこさしむるなり。」

「自未得度先度他の心をおこせるちからによりて、われほとけにならんとおもふべからず。たとひほとけになるべき功徳熟して円満すべしといふとも、なほめぐらして衆生の成仏得道に回向するなり。」


己を空しくしなければできないことであるが、自らが未だ度されてもいないのに人を度すとは一体どんなお節介なのだろうかといった疑義を抱く人もおられることであろう。私も以前はそうであった。迷いを払拭し切れてもいず、悟りも得ていず、救済も未だ不十分な者にそのような資格があるのだろうか、そのようなことが可能なのだろうか、と。

問処に答ありと言われる。
ここにもまた宗門の「悟り」「救済」「度」「菩提」と謂われるものが如何なる筋合いのものなのかが窺われる。
「悟り」「救済」「度」「菩提」がないのではない。それを得ることが容易であるとも困難とも言ってはいない。自他の二見を立てること自体がすでに仏道の本義を遠く離れていることに気付かなければない。「悟り」「救済」「度」「菩提」は私の見解ではない。私の強為ではない。私の都合ではない。来るとも去るとも見えぬながら遥か彼方から訪れるものだという前提が垣間見られはしないか。裏と表が永遠に出会うことがないながらも、永遠に一体であるように。いのちとは是く如く深々微妙なるものだ。

「未得」とは「既得」と同義だと言っているのである。当然ながら「未既」は知見の先の話である。又、「度」が私一人の威儀だと思ってはならない。俗にも「徳は孤ならず」と云われる。「度」もまた「孤ならず」であるが、もっと宗旨に添って言えば「度」は「自他の二見」の地平の話しではないのである。全て一切衆生と共にあるかどうかが「行」の真偽を分けるのであり、「悟り」「救済」「度」「菩提」の深浅を定めるのである。釈尊成道の因縁を忘れてはならない。

換言すれば、そのような「道の通塞」を弁えてこそ、「眞の発心」なのであり、「誓願に生きること」が可能となるのであろう。究極に自を利するとはどのようなことか?他を利するとは如何なることか?己れ空しく生きるとはどのような様子なのか?「悟り」「救済」「度」「菩提」も千差万別である。定まった調度はない。畢竟、仏道とは自己本来の面目の再生・創造を繰り返す無為の行なのである。如何に況や他己に於いておや。

お寺はそのような方便を弄する人間救済の窓口であり、現場でなければならないのが理想である。他のことを云々する以前に、私自身が那辺を厳しくを点検し、学んで、実践して行かなければならない。


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「踏絵」

遠目には挙動不審の梅見かな

行列のできる菠薐草に並ぶ

クロツカスいきなり咲いて日が当たる

自らを励まし草の萌ゆる辺に

待つことの幸ひ春潮ひた寄する

東京の夜は灯の海浮かれ猫

憧るゝ都暮らしや朧月

夜の底に生きて坂口安吾の忌

面影を慕ひて余寒抱きしめる

身に余り心に余る寒さかな

踏絵より戻りし裔の顔なりし

原発の踏絵を誰も踏まざりし

もののふの国に踏絵の暗国史




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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
難しいお話ですが、次のようなことを思い出しました。母親一人を残し、娘が急に初めての海外出張。彼女は海外での不安な生活の中にあっても、日本の母親が心配しているだろうと毎日、母親を安心させるメールを出し続けたそうです。その「安心してもらっている」行いによって自らが「安心させられている」と感じたそうです。これと「自未得度先度他」は違うのかも知れませんが。ありがとうございました。

2013/02/13 09:39
浅き春 ゆめか嵐の 轟きつ
いくさ畢んぬ しるし鏑矢
貧女の一灯
2013/02/13 15:29

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