再生への旅

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<<   作成日時 : 2013/02/26 06:27   >>

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寺へゆき春の浅きを肯へる 玉宗

仏教企画通信31号(有限会社仏教企画発行)で駒澤大学名誉教授佐々木宏幹氏の文章が載っている。
巻頭で、日本の祭事を含む諸年中行事が旧暦(太陰暦)の方こそ相応しいという指摘には歳時記に馴染んでいる似非俳人としても意を強くしたことである。今年も又、暦の上では初春も過ぎようとしているというの近年まれにみる寒波が襲来する現実を目の当たりにしていると尚更のことである。

さて、氏は「彼岸会にちなんで」と題した文章の中で、少ないながらも日本各地に残る「川勧請」「流れ灌頂」と呼ばれる宗教行事を取り上げている。そしてそれらの行事が時代と共に絶えてきている現状も。「流れ灌頂」とは死亡した妊産婦や水死者はじめ無縁の死者の回向や魚類供養のために行う仏事であり、水によって罪穢を浄める在来の禊の習俗に密教の灌頂を結びつけ、灌頂幡の功徳で、死者の滅罪を願う日本で始められた供養法だと云う。

先日、永福寺の先代のアルバムを見ていたら、50年前の開帳法要満散の日に輪島の港から船に乗って「流れ灌頂」をしている写真があった。多くの卒塔婆と住職を乗せて今まさに沖へ出ようとしている写真である。今では輪島に於いてもこのような供養法を修しているといったことを見聞することもない。やって出来ない事はないので、一度修してみたものではある。

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はこの「カワカンジョウ」に関連して、信者の先祖と本尊への意識の違いなど、その宗教的性格を指摘されている。先祖が主、本尊が従であることを如実に示すかの如き宗教行動の内に、実は日本仏教の特質は何かという問題を解く鍵が隠されていると云うのである。異界・他界意識は人類共通してみられるという指摘にはじまり、以下、死者の穢れを浄化し、先祖・カミとなり家や共同体を守護する。僧侶が葬式・死者儀礼の担い手になった真相。この国のときに農村社会における「家」の継承観念の共有と人生観。寺檀関係の真相。

そのような記事の最後に氏は次のような文章を以って筆を擱いている。

「現在この国の「家」は法的にも実際的にも解体している。しかしまだ「家意識」は存在していることは墓碑名の多くがの「〜家之墓」となっていることからも知られる。しかし大都市にみられるように葬式の仕方は多様化し、無僧侶葬も増えている。仏教が葬式に関与し始めた頃、僧侶と信者の関係は「信仰」に根ざしていた。将来、人びとが葬式を行う際、宗派を越えて尊敬できる僧侶を選んで依頼するというときが来ないとは言い切れない状況になりつつあるかもしれないことを、お互い銘記すべきであろう。」

「家」と「寺」ではなく「個人」と「僧侶」が向き合う時代が到来している。思えば、それが本来の在り方であったのか。見方を変えれば、「個人」も「僧侶」も様々なものを背負い込んで「家」や「寺」を継承してきたということなのでもあろう。少し身軽になれといった時代の要請なのかもしれない。それにしても、この、いささか淋しい現代社会の風景はどうしたことであろう。

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「浅春」

そういえばバレンタインも疾うに過ぎ

春浅き弔句認めゐたりけり

藪椿破れかぶれの風の中

浅き春ほとけにつどふことをして

蕗味噌の人を食つたる苦みかな

白魚の喰うにはしのびなき美味さ

競ひては涅槃団子を拾はする

ふきのたう摘むのが儂の仕事だと

かたかごやまだあどけなき恋をして

菠薐草食うては妻を喜ばす

クロツカス老いも若きも出て歩き






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