再生への旅

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zoom RSS 身心学道・大本山總持寺祖院涅槃会

<<   作成日時 : 2013/03/11 04:12   >>

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如月やまだかんばせのさだまらず 玉宗

昨日は大本山總持寺祖院の涅槃会法要があり、随喜した。
仏殿に於いての法要は多くの参詣者で埋まっていた。山を下りた雲水さんが何人かいたようで、顔を覚えたばかりでいなくなってしまうことがよくある。僧堂も出入りが多い。ひと段落したら新到さんも上山してくることだろう。

祖院に安居してもうすぐ一年になろうとしている弟子も、法要を進行する要のひとつとなって進退していた。キビキビした所作進退が如何にも雲水然として感心したことである。進退ひとつをとっても「わたくしの無い」ところをねらっていかなければならない。恰好をつけようとか、恥ずかしいといった外聞に拘っているようではいけない。ある意味、法要での役者なのであるから、役者としてのプロ根性で事に当たるにこしたことはない。一つの大きな法要のために、何回も所作進退を習い、身に覚えさせる日々を過ごしていることであろう。学生生活では想像だにできなかった身と心に学ぶ日々が続いている。

思えば、昨年の今頃は、上山を目前に控えて、師匠である私と一緒に起床し、坐禅をし、進退作法、お経の読み方、応量器の使い方などをマンツーマンで習っていたのである。早いもので、あれから一年が経とうとしている。どうなることかと、師匠の方が気が気ではなかったが、今のところ、投げ出すこともなく安居生活を送っている。これも僧堂内外の多くの縁者諸氏のお力添えによるところである。

弟子には手紙などで、事あるごとに「上増慢にならないように」と諭しているのであるが、さて、彼自身、今現在どのような志を懐いて仏道に対しているのか聞きたいところでもある。大人しい性格が吉と出るか凶と出るか、それもこれも本人の仏道者としての自覚次第ではある。

法要で垣間見る限り、一年前に比べて少しは逞しい人間になっているようではあった。


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「春障子」

春障子引けば明るき風の色

恋猫のそこはかとなく目に触り

白鳥の去りゆく空の行方かな

空といふ白鳥消ゆる奈落あり

白鳥の帰りし湖と聞くばかり

奥山にだれか背伸びす春の風

裾を吹く風も弥生の光りあり

荒起す鍬の先にて囀りぬ

囀りや力仕事をしてをれば

菫咲く山に入りては人を恋ひ

家出せし朧月夜の昔あり

わがこころ菫ほどにも直からず

生き死にの遊びせむとや春の泥






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