再生への旅

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zoom RSS 諸行無常の鐘の音

<<   作成日時 : 2013/03/12 03:55   >>

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菜の花や嘘がつけずに泣きだしぬ 玉宗

昨日は東日本大震災から三年目であった。
住職が行方不明、伽藍も津波で全壊した岩手県の宗門寺院がある。震災でお寺の梵鐘を失くしたが、善意の寄進で新調なった様子がテレビで放映されていた。未だに副住職を名乗っている方丈が「鐘の音に想いを寄せて」といったことについて話していたのが印象的であった。

所謂「鐘撞き堂」といった伽藍には「常説法」といった扁額が掛けられていることが多い。「鐘の音が常に法を説く」とは如何なることか。

「諸行無常の鐘の音」とは平家物語で世に知られているとことであるが、平素何気なく聞くお寺の鐘の音は、本来四時の時報の役目も兼ね備えている。昔は朝昼夕と鳴るお寺の鐘が日常の営みに届いていたに違いない。日常の中にあって聞く「鐘の音」と非日常の中にあって聞く「鐘の音」。本来どちらにも音色に違いはない。どちらも音として諸行無常しているだけであろう。聞く側の「耳」が試されている。聞く側の「法を聞く耳」が試されている。

実は「鐘を撞く口伝」といったものがある。朝晩の梵鐘は基本的に「百八声」撞くのが習わしである。大中小と音の高さ、強さも様々であろうが、鐘の音と鐘の音の合い間といったものがある。今撞いた鐘の音が消え入る寸前に次の鐘を撞く。先の鐘の音が消えてしまってはいけない。あるかないかの、かすかな余韻が残っているうちに次の鐘を打つのである。それを続ける。切れながらも繋がっているいのちの灯のごとく、去るが如く来るが如く。あるが如くなきが如く、生の如く死の如く、苦の如く楽の如く、有の如く無の如く、「諸行無常の法」とはそのようなものなのであり、そのように執着なく「聞き」「見て」「生きて」「行じて」いかなければならない。真の「仏道人・解脱」とは「無分別を聞きわけ、無分別を見切り、無分別をいきる」人間のことをいうのである。

「鐘を撞くコツ」それはそのまま「鐘の音を聞くコツ」「迷わないで生きる生き方のコツ」といったことに通じている。「鐘撞き」一つも「説法」であり「仏道」である所以である。被災地の皆さんが「諸行無常の鐘」を撞き梵音に救われんことを祈る。合掌


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「ふらふらと」

ふらふらと春三日月へぶらさがる

孕み雀まつ毛のやうに吹かれをり

北窓を開けて海鳴り轟かす

朝摘みし土筆夕餉の酢のものに

恥しきむかしの色に春めきぬ

地の酒を呑んで綱引く春祭り

凍とけて出稼ぎの父帰る日ぞ

如月やまだかんばせのさだまらず

腸を手に取るやうにおぼろなる

大凡は根も葉もなくて木の芽風

もう少し飾られてゐる雛かな

いつみても春の三日月落ちかゝる

凍解や少し傾きバスを待つ

脂汗冷や汗春の闇匂ふ









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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
おはようございます。
何時も読ませていただいています。

鐘を撞く口伝、鐘を撞くコツなど全く知りませんでした。良いお話を有り難う御座いました。
たか子
2013/03/12 10:28
大槌町のご住職が「撞く人の思いが余韻になるのです」とおっしゃったことが耳に残っています。「鐘を撞く口伝」−初めて知りました。ありがとうございました。

2013/03/13 12:28

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