再生への旅

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zoom RSS 今日の妄想・青春とはなんだ?!

<<   作成日時 : 2013/03/15 04:08   >>

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襟元の汚れやすさよ鳥雲に 玉宗

世間ではときどき、「寺へでも行って顔を洗って出直してこい!」みたいな社会への謝罪、更生の意味を以ってお寺へ掛け込むといった事態が垣間見られる。その中には若者もいるようで、自ら志願して頭を剃ったり、山に籠るといったようなパフォーマンスに御目にかかる。先日も若い女の子が芸能界の約束を破ったとかで自ら発心して頭を剃ったことが取り上げられていた。

かくほど左様に、お寺の世界とは半端な人間が出入りするところだ的な、抜き難い常識があるようだ。よく言っても、間違ったり失敗した人間が更生、再生する場として認知されている。
掛け替えのない青春もなんだが、掛け替えないといえば人生すべて掛け替えのない生老病死である。青春は確かに眩しいものであるが、光り極まり無闇となり、ときに残酷、グロテスクでもある。無知や純粋の危うさ、未形成の痛々しさ。

所謂「青春」ならではの迷悟といったものがある。それにしても人はだれもが自己の立ち位置から逃れられまい。せいぜい、ちょっとだけ背伸びして人生を望むことが出来るだけだ。
頑張って生きようとして、後悔のないようにやるだけのことをやろうとして、充実した人生を送ろうとしていた筈なのに、それでも失敗しちゃう人間らしさ。「つもり」で人生が構築できるなら誰も苦労はしない。人生の智慧とは具体的に生きて自得するもののようである。比較や自己評価を越えた、わがいのちのままに生きる知恵といったものがある。

出家は人間が失敗もすれば成功もする動物であることを前提としている。有為転変の人生を笑うのは易しい。然し、人生の有為転変にぶれないいのちの軸、人生の真の主人公といったものを担っていく生き方。それは老人の特権でもないし、人生の専権事項でもない。老若男女、生きとし生ける者の定まれるいのちの習いといって差支えない代物であろう。人生に学ぶ姿勢を忘れずに生きる。そこにはいつも「青春」の感動、息使いが脈打っているに違いない。

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「口」

雁風呂や見渡す限り海の果て

出世などもつてのほかで蜆汁

佇めばみな最果ての落椿

芽柳の免れ難き風の色

柳の芽美しき七曜始まりぬ

零さぬやうに鶯餅へ口はこぶ

平らげてなにやらむなし雛あられ

草餅を頬張り母をわがものに

菜飯喰ふもの足りなさをいかにせむ

口外はならぬと云はれかすみけり

肉体をはみ出て春の愁ひとす

窓を打つ雨の音にも彼岸かな




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