再生への旅

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zoom RSS めぐりくる雪割草の月日あり

<<   作成日時 : 2013/03/16 04:11   >>

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めぐり来る雪割草の月日あり 玉宗

3月は私のとって思い入れも一入の月である。
二ヶ月に亘った輪島の涅槃会法要も終わりひと段落。まもなく彼岸の入りとなるのだが、お寺での彼岸行持はとくに行わない。彼岸を過ぎて25日には能登半島地震から6年目となる。町内では前日より「雪割草まつり」が催される。季節の花であり、町花でもあり、私にとっては能登半島地震の記憶と共にある花でもある。あの日も「雪割草まつり」が行われていたのである。被災後、境内に三百株ほど雪割草を植えたのも身に染み、心に沁みた被災体験、そして再建の道程を地にも石にも刻んで置きたいという願いがあったからだ。

雪割草は日本海へ突き出た山肌の厳しい環境に群生していることからも解るように、中々栽培するには難しい野生の花である。日が当たり過ぎてもいけない。夏は雑木林の適度な木漏れ日と海からのくる南風。冬場は落葉樹の木漏れ日が降り注ぎ、寒風吹き荒ぶ世界で、落葉や雪の下で眠るといった環境。そのような環境でこそ、あのような可憐な花を咲かせるのであろう。どんな花にとっても、その花に最適な環境がある。というより、環境に順応するような花になっていったということなのだろう。

お寺の境内でそのようなことは出来そうもない。鉢植えというやり方もあるのだろうが、野に咲く花を自生させて愛でるには私は余りに手間を抜き過ぎる。植え放しでいいわけがない。昨年は花を咲かせた数が百にも満たなかった。年々、花の大きさも小振りになっている様に見える。雪割草に申し訳ないといった思いさえ湧いてくる。
思えば、花のいのちに真向かう姿勢が試されている訳である。身ほとりに自然の姿を再現したい。少しでも自然の息吹の中で暮らしていたい。そんな空虚感が私にはある。充足感ではない、空虚感のようなもの。

これも立派な妄想である。妄想に付き合わされる雪割草こそいい迷惑であろう。小さいといえども天地一杯の花のいのちである。採ったり付けたり、なぶり、弄ぶようなことを望んでいるわけではないが、結果としてそう言われても仕様がない有り様である。今年からもう少し環境整備に本腰を入れようと思っている。

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「春疾風」

春疾風売れさうもなき詩を抱へ

亀鳴くと信じ人生半ば過ぎ

少し固いが機嫌直して桜餅

朝寝して光りの岸に溺れをり

墓に来て眠たくなりし遅日かな

ありふれた手を差し伸べぬ春の水

春菊を摘んで不貞を詫びにけり

菜の花を掻き分け逃げて行つたらし

春水を光りの如くあふれしめ

疑心暗鬼芽生えて雁も帰るころ

縄文の貌して土筆和えてをり

土筆野へ呼び出してゐる恋敵





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