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zoom RSS 寓話という方便・驢馬の耳の場合

<<   作成日時 : 2013/03/18 05:08   >>

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驢馬の耳覗けばな春の闇ありぬ 玉宗

暖かだった昨日、夫人と一緒に奥能登にある小さな動物園に行ってきた。動物といってもポニー、イノシシ、ミュー?(あれっ、名前忘れた・・駝鳥みたいな奴・・)、そして驢馬だけである。九十九湾に面した丘の上にはレストランや遊園地も兼ね備えている。身体障害者の自立支援施設として運営されているようだ。どちらも小さな施設ではあるが妙に落ち着き、楽しい気分になる。

以前にも立ち寄ったことがあるが、今回「驢馬」を目の当たりに見ることが出来て、少なからぬ発見と感動があった。先ず、驢馬は顔もデカイが耳も大きい。そして、後ろ脚が意外と、というか不釣り合いにスマートである。まるで人間のような面持ちさえあり、仮装行列で馬のぬいぐるみに人が入ったような後ろ足である。

まあ、人に慣れているということもあるのだろうが、大人しい。動物好きの夫人などは頻りに「かわいい、可愛い」と撫でていた。

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ところで、イソップ物語に「王様の耳はロバの耳」というのがある。如何にも寓話的で人生訓にも富んでいる。

 <王様はロバの耳をしてして、それをひた隠すが、いつも髪を刈りに来る床屋は王様はロバの耳である事を知っていて口止めされていた。しかし床屋は何時までも黙っている事が出来ず、井戸の奥に向かって「王様はロバの耳」と大声を出して叫ぶ。その声があらゆる井戸の伝わって井戸と言う井戸から「王様はロバの耳」と聞こえ、皆にロバの耳を知られてしまう。
王様は「これは皆の意見を良く聞けるようにロバの耳になっている」と打ち明けるといった話である。(井戸ではなくささやいた言葉が風に乗ってというお話もあるそうだ。)

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この寓話は「秘密を守ることの大切さ」を説いているのだろうか。約束を守らなかった人をも赦す寛容さを説いているのだろうか。人の意見を素直に聞くことの大切さを説いているのだろうか。はたまた、自分を飾ることなく生きることの大切さを説いているのだろうか。

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正確には「説いて」いるのではなく、「寓話」という詩的世界を媒介として感性に訴えているのとしよう。そういうことになると「寓話」に託された真実の世界とは人間の愚かさと賢さ、醜さと美しさと言ってもよかろうと思う。
そのような悪魔と天使が混在した人間らしさがある。清濁併せ呑まなければならない人間世界の実際がある。世に謂われる「童話」「寓話」とは実に人間性の深い洞察からの所産であるというのが私の見解である。

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夢や詩に託さなければ伝えられない人生の真相がある。大人には夢がないと謂われる。それは自己を裏切り、欺くことを知った人間に成り下がったと云うのに等しい。そのような手合いの人間に「寓話」は子供の為の作り話との価値しか見出せないであろう。

驢馬の耳はなるべくしてあのように大きなものになった。それも又、神の采配である。「寓話」を笑うものは、神の采配をも笑う愚を犯すことになるであろう。

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「落椿」

都へと流れ着きたる落椿

落椿拾ふ遠流の身でありぬ

落椿愛憎のなほつづきをり

肉片の音して落つる椿かな

菊根分けひそかに生きてゆくつもり

鳥の巣のとつくに暮れてゐたりけり

巣箱より仄暗き貌覗かする

亀鳴くや執行猶予期間中

恋猫の憚りながら目に余り

京言葉どこか無礼であたたかし

生きながら墓標となりて鳥雲に





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