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zoom RSS 總持寺祖院坐禅句碑

<<   作成日時 : 2013/03/24 02:50   >>

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雉鳴いて戒律の朝はじまりぬ 玉宗

「雉鳴いて坐禅始まる大寺かな 沢木欣一」

大本山總持寺祖院の坐禅堂前に建てられた句碑である。俳人・故沢木欣一(俳誌「風」主宰)になる「坐禅句碑」と仲間内では呼ばれているもの。以前にも記事にしたことではあるが、私が祖院に出仕していた頃、縁あって、時の監院老師(現・大本山總持寺貫首江川禅師)の御骨折りを頂戴して建立にこぎつけた句碑である。私が所属していた「風」主宰の句碑を祖院に建てたいと思い立ったのには、沢木先生の能登への憧憬の強さを感じていたからである。

氏が「能登塩田」の群作で俳句界に鮮烈な社会性俳句、風土俳句の金字塔を掲げたことは世に知られたところである。氏の晩年に「風」の仲間入りをした私には師恩に報いたいといった思いがあった。当時、總持寺移東百周年を十年後に控えており、移転慶賛事業の助走が始まっていた。その一環として祖院境内に句碑建立をと提案させて戴いた訳である。

俳句を嗜む私の立案企画に顰蹙の向きもあったが、そこは単細胞の私の事、あと先も考えず軌道に乗せて目的を果たしてしまった。いささか強引であったかと今になっては忸怩たる思いがないではない。今現在、祖院山内の皆さんがどのような思いや眼差しでこの句碑に対しておられるのか気になるところではある。俳句に興味もなければ、俳人への義理もないお坊さんにはただの石の塊に過ぎないことであろう。お邪魔なら興禅寺の境内へ移転するのに吝かではないのだが、すでに句碑建立実行委員会の責任者であった私の手を離れてしまった感のある事象である。これ以上の介入はできそうもない。

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この句は句碑建立の話を沢木先生に差し向けた折に新しく作って戴いたものである。写生俳句の権化でもあった沢木欣一の晩年の作品である。修行道場の格式や厳粛さを損なわないものをといった配慮が先生にはあっただろう。所謂、「風」俳句の真骨頂でもある「即物具象」の手法からすれば、私などにはいささかもの足りないものがあるのだが、そのもの足りなさを補って余りある「写実の骨太さ」といったおおらかさ、ある意味格調に高さがある。響きがある。それが大本山の厳粛さに交響しているものと思うのだがどうだろう。

わが俳句の師への偏ったもの言いかもしれないが、そう的はずれな鑑賞でもなかろう。そのような沢木欣一俳句の誠を聖域に献じて戴いたのであると信いている。その辺の真心を受け取って頂ければ句碑建立に泥を被った私の宿願も果たせるのであるが。さて、理の先立つことを嫌っていた冥界の沢木先生はどのように評価して下さっていたものやら、いつまでも気になっている私ではある。合掌

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「あけぼの」

あけぼのや礁呑みこむ彼岸潮

踏青のゆく先のなくやすらけし

猫の子の一目散やすぐ止まり

戒律の朝がはじまる雉の声

花散るとみれば梢の百千鳥

卒業生らしきが浜をうろつきぬ

方丈になびく褌山笑ふ

花めぐる秩父遍路の明るさよ

初花やまだ明けきらぬ空の色

春の夢見てゐる吾子の寝息かな




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