再生への旅

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zoom RSS 能登半島地震から六年目の感慨

<<   作成日時 : 2013/03/25 05:08   >>

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光りつゝ雪割草を包む風 玉宗

今日は平成19年に起きた能登半島地震から6年目となる日である。
毎年、発生時刻の9時42分に合わせて夫人と二人でお経をあげる。他に参拝者はいない。自治体でも何がしかのセレモニーをしているようだが、復興の時もそうであったように、宗教法人はその種の行事に於いては蚊帳の外というのが基本姿勢らしい。まあ、大した問題ではない。

近年、国の内外で大きな天災人災が続いている。二年前の東日本大震災は未曾有の被害を齎し、地震国日本の防災意識の顕在化と防災減災の実行を国民に迫っている。被災地である東北三県のうち原発被害も背負った福島の復旧復興は未だに前途茫漠たるものがある。死者行方不明者は戦後日本の災害史上で聞いたこともない数に上ってしまった。人災は勿論のこと、天災による被害も可能な限り減殺する智慧がこれまで以上に求められている現代文明社会のような気がしてならない。

そのような災害史の中で、能登半島地震はともすれば忘れさられている感が否めないのが正直なところである。
それは被害の実態からして社会的な関心の埒外へ葬り去られるのも致し方のないことにも思われる。その後の大災害に比較して能登半島地震の被災者意識が当事者が抱いているほど深刻ではないのだろうと思ったりする。

思えば災害に遭わずに一生を過ごすことの方が稀な人間の人生なのかもしれない。私自身いつまでも被災者づらして生きて行くつもりもないし、多くの再建支援者に支えられての今があることを思えば、大いに憚る気持ちもあったりする。然し、大なり小なり被災したのは事実であり、その体験から私自身が何を学び、人生を再構築していくのかが試されている。そのような内実だけが日本中の何時如何なる時の被災者に共通した命題ではないのか。

被災の度合いは比べることが出来るであろうが、被災者再生の質は各自に委ねられた宿題であろう。だれもその葛藤までとやかく言う事はできないし、言ってどうなるものでもないのが人間社会の実際である。
「福島」を「死の町」と口を滑らせて辞任した大臣もいたが、現実をありのままに受け入れることをしたがらない人間性に押しやられたとも言えるかもしれない。大臣ひとりの首を取り換えたとて、福島の深刻さは変わらない。そしてまた、被災が再生の契機であることも間違いない。福島は生まれ変わることを望んでいる。
今も尚、生き伸びた者たちはみな苦労しながらも再生への営みを試行錯誤しながらも続けている。それこそがまさしく、被災者の新しい人生そのもの意義となっているにちがいない。

能登半島地震の被災者はどうだろう。
補助金に支えられた様々な復興に名を借りた整備事業があった。多くの援助、支援を受けたことも忘れてしまったかのごとき町の賑わいや、小奇麗に整備された町並み。ものの再生はなったが、さて、そこに暮らす人達の人間性は被災以前と以後と余り代り映えしないと見えないこともない。金銭至上主義、合理化至上主義、寄らば大樹の影、世論迎合、宗教心の退廃という社会風潮は能登の田舎をも蝕んでいると言ってもよかろう。

震災は人間の絆を再確認させたはずである。いのちの真相を目の当たりにしたはずである。諸行無常を肝に銘じたはずである。ものとこころの均衡を教えたはずである。生と死の一体性を教えたはずである。人生が縁を生きることに他ならないことを教えたはずである。
能登半島地震からの復興。どこか釈然としないものもあるが、社会を批判したり羨んだり、人のことはとやかく言えた義理ではない。興禅寺もまた被災を契機に小さいながらも小奇麗な伽藍を再建できたのである。自己にも、他者にも、社会にも、仏にも、生にも死にも、恩知らずな生き方をしてはいないか自問自答をしなければならない。

被災からの再建だけではないが、日常、非日常に関わらず様々な縁の中で生き生かされて今があることを忘れてはならない。それは私の認識以前の厳然たる事実として、骨にも肝にも、木にも草にも石にも、空にも地にも銘じいくこと。それこそが真に恩に報いる生き方といったものであろうと思っている。報恩再生の道もまた誰も自分に代って歩んではくれない。だからこそ困難な道なのであり、だからこその救いなのである。

自己を生きるのは自己のみ。これは被災者であるとかないとかと区別する以前の動かし難いいのちの話である。生まれたと云う事は限りある命を生きると云うことである。換言すれば、人生とは自己を知り、見極めることに他ならないのであろう。被災して自然や人や社会を恨むことは自己を恨む事に他ならない。そこには生まれたことをさえ被災と言いかねない私の愚かさがある。私の無明がある。いのちにとってこれ以上の口惜しいことがあるだろうか。

一寸先は闇であるいのちの危うさを戴きつつ、自己の灯明を生きる。それこそが仏道であると信じている。合掌

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「雪形」

雪形や納戸の扉開け放し

鶯やうなじに残る山の冷え

中陰の昼酒美味し初蛙

残雪の立山連峰屹立す

花冷えや膝を正してゐるばかり

いつまでも虚子の椿と月並みな

馬の子のまなこなみなみ星あふれ

雪形や迸りつゝ水流れ

若布刈る身を乗りだしぬ水鏡

また一つ廃校となる竹の秋

桃の花人に遅れをとりて生く

まなうらに花のあしたのよみがへり

門前の小僧とみれば囀れり










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内 容 ニックネーム/日時
地震ではありませんが、2004年の台風で実家の裏山が土砂崩れになり、家が崩れる寸前でした。幸か不幸か、私も帰省中であり、家族みんなで停電のなか、ロウソクを囲んで団子になって過ごしたことがあります。いつ2次災害が起きるかわからない中での1週間はとてつもなく長かったことは忘れられない日々です。
それ以降は、台風・地震等の天災が起きる度、わがことのように思い、涙が出てしまいます。被災県内に友がいれば、連絡を取り、安否を確認してみるなど、何かをせずにはいられなくなりました。

我が家はギリギリのところで運良く助かった家族です。まさに、生と死、紙一重のところにいました。このことは、ずっと忘れることはないし、忘れちゃいけないのかなぁと思っています。
しぃ
2013/03/25 22:56

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