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zoom RSS いのち生と死の絆・直葬についての雑感

<<   作成日時 : 2013/03/28 04:38   >>

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菜の花やわだかまりなく空晴れて 玉宗

「直葬」という社会儀礼が耳目に触れるようになってきた。NHKwebニュースで<「直葬」 関東では葬儀全体の5件に1件>といった見出しが流れた。詳細は以下のようなものである。

「直葬」 関東では葬儀全体の5件に1件3月27日 0時17分

通夜や告別式を行わない「直葬」と呼ばれる葬儀がどのくらい行われているのか、全国の葬儀業者を対象に調査したところ、関東地方で特に多く、葬儀全体の5件に1件に上るという調査結果がまとまりました。

直葬は、通夜や告別式を行わず、火葬だけで済ます葬儀で、僧侶を呼ばないケースが多くなっています。
去年12月、葬儀や墓などの情報サービス会社が、全国のおよそ200の葬儀業者を対象に、去年1年間で直葬がどのくらい行われたのかアンケートを送って調べたところ、地域別では関東地方が特に多く、葬儀全体の22.3%、5件に1件に上りました。
次いで多いのが近畿地方の9.1%で東京や大阪などがある大都市圏で直葬の割合が高くなりました。
直葬の葬儀費用は、平均で18万円ほどで、調査に答えた葬儀業者のおよそ40%が「値段が安いという経済的な理由」や「葬儀に対する意識の変化」などで「直葬が増えている」と感じています。
宗教学が専門の国学院大学の石井研士教授は、「直葬が葬儀の1つの形になってきたと感じる。経済的な理由もあるが、やはり地域社会や親族との人間関係が薄くなってきたことが直葬が出てきた大きな要因と思う」と分析しています。
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葬儀業者は

都内の葬儀業者によりますと、直葬の費用はひつぎなどのほか、遺体を運ぶ車両費や火葬場の利用料金などで値段は安い場合は22万円ほど。
通夜や告別式の会場費がかからないほか、僧侶を呼ばない場合はお布施の費用もかかりません。
火葬場で5分から10分、お別れの時間を設けるようにしていますが、それでも1時間半から2時間で葬儀が終わるということです。
社長の宮嶋良任さんは、「昔は経済的に苦しい場合に直葬を行っていたが、今は事情が変わってきている。ただ亡くなった方とお別れの時間がしっかり取れないので後悔するケースもある」と話しています。


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「直葬」が社会の需要に応えていることを否定するつもりはない。それが経済的事情を優先し、人間関係の希薄化などを要因としている現実に目を瞑るつもりもない。また、必要悪とも、必要善とも言うつもりもない。葬儀を主宰する僧侶への信頼が揺らいでいる現実があることを否定はしない。ただ、人生を生き抜く「絆」の様相が変わってしまっていることに、ある種の危機感を抱かざるを得ない。

人間関係にはいろんな様相があるのだが、ときどきそれがとても有難かったり、反対に鬱陶しく感じたりすることがある。失いたくないと願う一方で、何とかならないものかと疑心暗鬼の中で蠢いたりする私がいる。いい加減な、どこまでも自分勝手な人間であることよ、とつくづく思う。

私は臍の緒で母と繋がりこの世に出現した。私は一人で放り出されては人として生きていけない不完全な生き物である。親との絆とは、そのような危なっかしい正真正銘の命綱であった。家族、友人、隣近所を始めとする地域社会。社会人となってからの人間関係。人間という社会性を条件とした存在者である私。人間として生きていくための「絆」という関係性。それがときどき「柵」となって私を窮屈な世界へ誘惑する。正確に言えば私が「絆」を「柵」に変質させているのだろう。

この世の縁、関係性を命の「絆」という前向きなものとして捉えるか、「柵」という減速的なものとして捉えるか。自己の世界を確立し決着して生き切るとは、換言すれば、この世に生れて来た目的は私が私という生き方を創造するために他ならない。「絆」とはその目的を叶えるために与えられた「宝」なのではないか。
宝とは人それぞれであるが、人も又、宝を宝しめるそれぞれの可能性を試されていよう。だれもが「宝」をどう活かすかを試されている。生まれてきたということはそういうことではないか。意味もなく生れ落ちるわけがない。
「絆」とは、「生」を豊かならしめ「死」を豊かならしめてこその「絆」であろう。

いのちは「生」と「死」を兼ね備えてこそその面目を果たしている。あたり前のことではあるが、「生」と「死」、どちらか一方が欠けてもいのちはいのちたり得ない。豊かな「生」は豊かな「死」を荘厳するであろう。それは経済の話しではない。いのちをどう戴くかという次元の話である。そして、目に見えるもの以上に、目に見えない「絆」に生かされている存在であることにも気付くのである。もしかしたらそちらの側の「絆」が遥かに広く、深く、豊かで、強いものなのかもしれない。いのち生きている事実への尊厳さを謙虚に受け止めていたいものではある。

私にとって、「直葬」の流行し出した社会への提言はそれ以外にない。


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「霾」

洛陽の夢の果てなる霾ぐもり

夢はみな荒唐無稽霾れり

まぼろしの渤海能登は霾ぐもり

秘仏訪ふ鴬張りへ霾れり

漆黒の甍聳ゆる花菜かな

風に咲く都忘れや遠流の地

白山の裾野に暮らし霞みけり

足るを知る菫が好きな妻とゐて

亡き母のしぐさを真似て耕せり

妹のやうな影もつクロツカス

本心をはかりかねたるヒヤシンス

シクラメン褒めてやらねば咲かぬなり

フリージアつらなりながらひとつづつ



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2013/06/01 16:51

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