再生への旅

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zoom RSS 今日の矛盾・人間ラシサニモマケズ

<<   作成日時 : 2013/03/06 03:05   >>

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忘れられ生きるもよけれ春うらら  玉宗

ときどき、心底一人になりたいときがある。ブログもフエイスブックもツイッターも全部やめて、お寺さんや俳人や隣近所も心底親しい人とだけお付き合いし、夫人と共にお寺の行事だけに専念し、俳句をこそこそと作り続け、誰にも褒められもせず、思い出されもせず、喰うに困らない程度のその日暮らし。妻帯し、寺を持ち、弟子もある私であるが、それでも良寛さまのような生きざまに憧れ続けている自分がいる。

小さい頃からひとり遊びの好きな私であった。三つ子の魂、それはお坊さんになっても基本的には変わっていないように思える。泣き虫小僧の淋しがり屋ではあるが、人見知り。内弁慶の見栄張り。ブラックホールのようなマザコンの闇がある。誰に教わったものか、嘘も吐いたし、罪な事もした。人を泣かせたこともある。有頂天になって浮足立って生きていたこともある。思い出すたびに冷汗や恥ずかしくなる体験がいくつもある。突き当っては迂回し、痛い思いをしなければ骨身に染みない鈍感さ、不器用さも持ち合わせている。そうではあるが、現実の結果には言い訳をせず引き下がる智慧もある。そんな五里霧中、紆余曲折の人生の歩み。われながら、よくぞ今日まで生き延びてきたものである。

そんな危なげない人間がお坊さんになり、人の夫となり、人の親となり、師匠となり、生き、生かされている。私の中に巣食う「善悪の人間らしさ」。それを抛り出したいといつもいつも念じては生きてきた。それでも間違い、行き詰るあり様。何を学んでいるのかと忸怩たるものがある。この歳になって、自分の力量が見えてきたといってよい。また、見えていなければならないだろう。それでも生かされている事実。いのちは私が思う以上に逞しく、図々しく、予想外の代物である。

そのような都合よく、且つ虫のいいもの言いではあるが、私の生きる意義、それは「人間らしさの彼岸」「人間らしさの向うにあるもの」と言わせて戴きたい。生きることを自ら放棄することをしない限り、私は私の理想とするそのような人生を創り続けて行かなければならない。創り続けて行きたい。そのためにも「人間ラシサニマケズ」不器用ながら生かさせてもらう。誰も、神様だって、それを咎めることはできないだろう。それほど、いのちは繊細で、開放的で、取り返しの利かない新鮮なものである。

そのような次第の私といういのちの可能性の「死・終焉」、それはまさに、私の創造した人生の墓標、瓦礫、諸行無常であり、それこそがまさに神様への最後の捧げものである。今の私にそれ以上の夢はない。

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「春夕べ」

ものいはぬ人形とゐてあたたかし

うすぎぬの春の夕べをまとふかな

恋人は木立のやうに春夕べ

家といふ沖に灯がつく春夕べ

耳遠き母へ差し出す桜餅

生き死にのまぬがれ難くみなおぼろ

ことごとく忘却にして水温む

難聴の耳をたづさへ梅見かな

草萌やいつかは家を出るつもり

春の霜恩愛ときに断ち難く




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