再生への旅

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zoom RSS 今年はじめての畑作務

<<   作成日時 : 2013/03/08 05:19   >>

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囀りや力仕事をしてをれば 玉宗

気温が一気に上がった感があった昨日、興禅寺の裏庭の畑で、荒起し作務を行った。一畝終るたびに息が上がり、腰を伸ばした空に囀りが聞こえる。

昨年の収穫状況や利用状況から、なにもお寺で食べる分以上の野菜を作ることもないだろうということに決めたのだった。野菜は止めてお花畑にしようかと夫人と相談したこともある。まだ結論も出していないのだが、いざ、春になってみると、やはり体がうずうずしてきて、意味もなく鍬を振り回したくなった。まあ、野菜を作るにしても、収穫するに越したことはないのだが、その過程が畑作務の醍醐味なのだろうということに気付いた次第。専業農家の苦労を知る由もないし、知るつもりもないのだが、家庭菜園とはそれほどの気軽さでいいのだろうとも思う。贅沢なことではあるが、いざとなったら自給自足のノウハウを学んでいると言った言い訳も用意している。

私の場合、体を動かしているというだけで畑作務の意義が全うされているようである。良いものを作ろうといった意識が薄い。何度も同じ失敗をして、われながら土から謙虚に学ぶ姿勢に欠けている。農家の方が見たら憤慨することだろう。鼻から学ぶ気がない訳でもないのだが・・・。どうも、自然を舐めている風がないでもない。思えば俳句を好むような文弱人間である。自分が思いこんでいるほどにはアウトドアー人間ではないのかもしれない。

というか、奇弁めくかもしれないが、何をしても自然には叶わないという思いが私にはある。
猫の額ほどの畑の自然で私がしていることなど取るに足らないだろうといった思いがある。要するにママゴトの域を出ないのだ。出たいとも思っていない節もある。出るなんて、それこそ真摯に自然に向き合っている農家の人に対して失礼というものではないか。

はっきり言いますが、私の畑作務はママゴトです。

そう言ってしまえば、今度は仏道的にそれは作務を侮辱するものではないかといった理屈も捻りだされるかもしれない。要するに私は私に見合ったママゴト作務をしているのである。誰に迷惑を掛けているとも思えないし、誰の為にもなっていない筈である。無駄な事を堂々とやっている次第。買被られたくも、蔑まれたくもない。

まあ、それにしても、寺の裏でひとり畑作務しているの風景はいささか淋しい風景ではあるが・・。


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「啓蟄」

啓蟄や妻につべこべ言はれをり

うすらひやみなひとかどの面の皮

啓蟄の母が出たがる泣きたがる

遅き日や父が帰れば帰つたで

難しき年頃といふ木の芽かな

おい娘よ北窓開けてくれないか

天晴な空が下なる厩出し

若布刈る尻を蹴飛ばしたくなると

海苔掻きの母に惚れたる父なりし

梅月夜酒に呑まれし父背負ひ

目触りだからと鶯笛を宛がはれ

妹狩りへそろそろ亀も鳴くころと

朧なる海をさ迷ふ海星かな




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