再生への旅

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zoom RSS 春のひとこま

<<   作成日時 : 2013/04/11 04:48   >>

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蓮翹の花がごちやごちや咲いてをる 玉宗


能登もようよう春もたけなわといった感になってきた。
釈尊降誕会・お花祭りは4月8日に行われる所が多いようだが、門前町ではひと月遅れの五月に行われる。花祭りというくらいだから、野に花が咲き誇っている季節に越したことはなかろう。能登の4月はまだ花が咲き揃わない。気候も朝晩はまだ冷えを感じる日が多い。あたたかさを実感する春となるにはやはり5月である。
光陰のすみやかなることを嘆いたかと思えば、季節の移り変わりに生きていることの有難さを実感するのもまた人間。春は生命力の息吹といったものをいやが上にも感じる季節ではある。

さて、總持寺祖院で修行中の弟子であるが、今月15日から始まる夏安居の首座の配役を戴いて精進することになった。いわば学級委員長みたいな立場で、大衆に率先して弁道し、行持を牽引する配役である。誰よりも早く起きたり、東司作務など様々な隠徳を積むのも安居中の首座寮の習わしである。この役を三カ月勤め上げ、その総仕上げの日に首座法戦式という儀式をおこなう。ご覧になった方もあるかもしないが、修行の力量を禅問答で試される儀式である。これを済ますことによって、一つ僧としての位階が上がる。お寺の住職になるためには必ず、通らなければならないものである。

自慢めいたもの言いになるが、それにしても、だれもが大本山總持寺祖院という専門僧堂でこの儀式を行えるというものではない。私でさえ本山ではしていない。首座に選ばれたことの有難さ、勝縁を本人も抱いていることだろうが、師匠はじめ、檀信徒にとってもめでたい事である。地元の僧堂で山内寺院の弟子が修行していることも、また法戦式をすることも、思えばめったにないことでもある。無事に勤めあげることができるかどうか。頑張りすぎても、頑張らなさ過ぎてもいけない。弟子には平常心、坐禅の用心で精進しなさいとは言ってあるのだが、どこまで自己を律することができるか。本人以上に師匠である私の方が緊張気味だ。

内に外に支援するのに吝かではないが、出来ることにも限度がある。安居修行するのは本人自身であり、こればかりは如何ともし難い。せめてはこの三ヶ月、弟子と同じ時間に起きて、同じお経を読み、朝に晩に無事を祈るばかり。春闌、新たな展開に向かって静かな期待と緊張に浸っているお寺のひとこまである。

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「馬酔木の花」

鈴の音もならず馬酔木の溢れ咲き

母ひとり朝に老いぬ花馬酔木

晴れてなほ胸騒ぎせるさくらかな

山桜杣が炭焼く辺りにて

連翹の枝がいふこときかぬなり

朝美しく花海棠の空ありぬ

逃げ水を追うて捨てたる故郷あり

山々を遠ざけ牧を開きけり

高原の空の丸さよ牧開き

種浸し泥の眠りの始まりぬ

とことわの空より枝垂れ桜かな

死ぬる世の空広々と耕しぬ





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