再生への旅

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zoom RSS つばめの空

<<   作成日時 : 2013/04/21 04:40   >>

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つばくらや空の扉の開くる日ぞ 玉宗

四月に入って間もなく今年初めての燕を目にした。

庫裡と本堂の窓を開け放って夫人と共に朝の掃除をしていたときである。慌てて閉めたが中に入った後だった。窓に体当たりして死んでしまうことがあるので、裏と表に通じるように窓を開けて置いた。そのうち壁や窓にぶつかることもなく外へ飛び出した。部屋には小さな糞か泥のようなものをお土産に落してあった。二人で後片付けをしながらも、今年も又燕がやって来た嬉しさは隠しきれるものではなかった。

六年前の能登半島地震に被災した折も、燕はやって来ていた。倒壊したお寺の上空を旋回していたが間もなく立ち去った。「お寺がなくなったので戸惑っているんでしょうね・・」夫人がぽつりと言ったものだ。
再建へ向けて歩きだした次の年も更地になった上空を舞っていた。

再生の日々。それは、被災によって知らされた構えることのない人生の歩みでもあった。それは私にとって予想外の「新鮮」ないのちの歩みといってよかった。燕はそれを知っているかのように私を励ましてくれた。お寺を失くしはしたが、なにもかもを失くした訳ではない。自らを励ましつつの日々。今でも、燕が飛来する喜びと共に被災した当時や再生の日々の情景や心模様が甦る。

燕に恥ずかしくない生き方をしているだろうか。そんなことを気にしている私がいる。


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「春泥」

敷島の泥の国なるつばくらめ

春泥のゆたかに終の棲家なる

塞ぎをる空につばくら来て囃す

切株のしみじみ濡れし穀雨かな

春泥や母置き去りにして生きる

雪形や泥の眠りの始まりぬ

乾きたる泥の顔にて畦を塗る

種芋や野良着のままで米を研ぎ

命日の母よ大根花盛り

耕すや寡黙を空に強いられて

畦塗や頑固な泥を宥めつゝ




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