再生への旅

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<<   作成日時 : 2013/04/22 04:40   >>

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春の雲逃げ果せたる軽みあり 玉宗

能登でも畦塗りや代田搔きの様子が見られるようになった昨今。冴え返った昨日、一つの御法事があった。
私が興禅寺の住職になって最初のお葬式を出したお家である。地域の習わしも知らぬまま若気の勢いに任せてやり遂げた記憶がある。あれから20有余年。当初の檀家の期待に添うこともできず、化けの皮が剥がれて幾年月。忸怩たる思いも消え失せ、今では化けの皮が剥がれた事をよいことに裸の住職に胡坐を掻いているような気がしないでもない。

然し、我ながらこのようなもの言いは如何にも不遜な響きがあることは隠せない。
私のいのちは私が卑下したり、或いは傲慢になったりするほど狭く、浅く、貧しいものではない筈である。私は私の都合や利害といった思いを遥かに超えた「縁」「恩」といった「捉えきれない関わり」の真っ只中で生きている。如何に況や他の毀誉褒貶に於いておや。
現在は勿論、過去も未来も、いのちは自他の境界を越えて深く広く豊かな世界と一体である。というより、今のいのちの中に過去も未来も、前後左右も、全てを包含しているからこそのいのちの豊かさであろう。迷い、無明とは一体であることのわがままのようなものである。一体であることを否定しようとするない物ねだりのようなものである。

「信じる力」といったことも一体であることの恩恵であろう。無いものを信じることなど出来る筈もない。もとより一体であるいのちであればこその「信」であろう。それもこれも「いのちに目覚め、いのちありのままに生きることを本義とする、いのち自らの、然らしむるところであると思いたい。
そんないのちを戴き、生きることが出来なくてなんの人生であろうか。そんないのちの死を受け入れることが出来なくてなんの出家であろうか。

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「残る鴨」

残る鴨なにかがちがふなんだらう

残る鴨いつかは空が落ちて来る

水冥く残るほかなき鴨なりし

水仙に紛れ込んだるチューリツプ

つばくらめこれみよがしに裏返る

白蓮の光り溢れてしまひけり

缶蹴りの鬼が泣き出す杉菜かな

つばくらめ天地ひつくり返して飽きず

遠山の眉のあたりが笑ひをり

白雲と光りをきそひ山桜

春の雲逃げ果せたるかるみあり

菜の花やふるさといつもまぶしくて

竹の秋暇さうに生き疎まるゝ

鶯や生きるも死ぬも佳境なる

ひたひたと代田波寄す夕餉かな

一枚の灯りを延べて芝桜






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