再生への旅

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zoom RSS 「ヒバクシャ」「フクシマ」という差別

<<   作成日時 : 2013/04/28 04:40   >>

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フクシマは蝶の破れしかたちして 玉宗


曹洞宗宗務庁の企画・制作になる『原発事故〜人権は守られたか〜』DXDを視聴した。

東日本大震災で事故を引き起こした福島原発であるが、二年以上経った今現在も政府の見解とは懸け離れた「収束状況」である。東日本大震災によって原子力発電に対する「安全神話」も崩壊した。

避難を余儀なくされた人達、帰りたくとも帰れない故郷。未だに避難状態にある人は勿論、留まる者も去る者も、引き裂かれるような思いの中で暮らしていることであろう。
あの日以来、福島県民は「見えない不安」の中で暮らしている。そして、原発事故によって生活の分断を余儀なくされている。苦渋の選択の中で生きる人達。そのこころの痛み。

そのような福島への「偏見」「差別意識」による「人権問題」の現実がある。

放射能汚染の数値やその影響も正確に認知されないままに様々な「人的風評被害」。「ヒバクシャ」「フクシマ」といった表記の中にそれは如実に隠されている。なにか特別な「存在」であるかのような「福島原発被災者」。
確かに「震災被害」だけではなく「原発被害」も蒙った福島県民である。二重苦を背負った彼らに「差別」という更なる「苦」が圧し掛かろうとしている。

福島の今と将来に思いを馳せると、私自身の無力さを痛感し胸が苦しくなる。

我々はみなそれぞれの人生に於いて大なり小なり何がしかの被災者である。福島を対岸の事としてではなく、今の地震国日本に共に生きる国民同士として、生きることの痛みを知る者同士として、「慈しみ」を以って対し、支え合いたいものである。「差別・偏見」といった「凶器」は他者だけではなく自らをも傷つけるものであることを知るべきである。政権交代が政治の目的ではない。だれであっても、国民の安全と平和を実現する為の政権であろう。そのような政治家の力量が今も尚試され続けている。そのような政治家を育て、選び、送りださなければならない。福島再生は政治家だけではなく、我々国民一人一人の本気度にかかっていると言って過言ではなかろう。


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「春の海」

空と鳥の交はりよけれ春の海

子を探す半狂乱に豆の花

凄まじき妻とのゑにし月朧

霞むほど遠くへ逃げて振り返る

生前があしたのやうにたんぽぽ黄

花辛夷あとかたもなく空残る

山吹の枝掻き分けて来りけり

酒呑まぬ父はかなしき春の山

月や日を呑みこんでゐる八重桜

死ぬる日が過ぎたるやうに花の雨



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