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zoom RSS 「かたち」についての考察・その2「なぜ仏道なのか?!」

<<   作成日時 : 2013/04/04 05:37   >>

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けふもまた頭悪くて蕗の花 玉宗

「かたち」についての考察・その2として、仏道というかたちを取り上げる。
前回の俳句では「詩心」という謂わば「かたちならざるもの」の「昇華」といったようなことであると結論付けたつもりであるが、「仏道」という生き方に於いてもそれは同様の根回しが必要であろう。

つまり、ここに「わたし」に拘り、「わたしの世界」に苦悩する存在が先ずあったということである。それは「詩心」とはまた少し違った煩悩の様子である。「生き方」に苦悩するとは現実という喰うことに直結する抜き差しならなさがあるということである。抜き差しならないとは言うものの、その実体は喰う為に生きるのか、生きる為に喰うのかといったような類の、実につまらない括りの問題提起をしている。問題の為の問題、みたいな。自己撞着、自己矛盾、益のない自問自答、益のない拘りであることが多い。人生に「遊び」がないことにより、人生に夢中になれないのである。いつまでも人生執行猶予期間中であるような不健康さが漂っている。実につまらない代物と化している。ある意味、いのちを弄んでいるとも言えよう。いのち本来の面目が未だ発揮されていない。どこかで人生に自らブレーキをかけている。そんな苛立たしさ、もどかしさ、勿体なさが消え去らない。どうすればいいのか?といったような「?」を常に抱えている。存在そのものが「?」と化している。竟に「?」は「いのち」をして「曖昧なるもの、かたちならざるもの」として認識して尽きる事を知らない。

それでも「いのちそのもの」は「?」を置き去りにして事実として諸行無常している。これはどうしたことであるか。「生き方」という「かたち」を求めるということは、つまり「?」に終止符を打つことであり、「?」をして「!」に転換することではないか。誰がなんと言おうと、自己のいのちは自己が頂くしかないのである。実に平等の極みである。それがいのちの実相であろう。求めているうちはまだ「実相」を手に入れてはいないのである。それは「頭の理解」に留まるようなしろものではない。いのちの事実、その理解、理屈などといったものは事実の前後にいくらでも出没させることができよう。「仏道」という「生きるかたち」は「いのち」という「?」にして「!」なるものを丸ごと受け入れ、弄らないことである。いのちは解答の中に生れ落ち、生き、そして死んでいくのである。一生「?」を抱えて生きたとしても、それもまた大いなる「!」の様子とも言えよう。竟にいのちは自らの「!」から逃れられないのである。

いのちありのままでいること。そのような「仏道」の「かたち」を維持することは実に並大抵のことではないと言ってもいい人間社会の現実がある。人は様々な「並大抵ではないこと」に人生を賭けたがるものではある。それを笑うつもりはない。人生とはなにがしかのものを賭けて生きることでもある。掛け替えのないいのちを賭けて実に様々な「並大抵」に成り下がる人間らしさ!
「かたち」ばかりに拘る、と批判的になることがあるが、それは「かたち」の盛るべき「内実」を持っていない人間の失言であることが多い。「かたち」を「真似すること」の難しさ、「かたちばかり」であることの奥の深さを未だ知らないことが多い。「かたち」に賭けるべき「内実」が希薄であることが多い。形骸化しているとは恐らく「かたち」が本来の「かたち」をなしていないということではないのか。「かたち」と「内実」とは一体のものではないか。

言い方を変えるならば、「かたち」とは竟に「かたちそのもの」を超越・超克することを望んでいる。少なくとも、そのような内実を待ち望んでいるかの如くである。「仏道」も又、そのような「内実」を「創造」する働きのあるものでなければならないだろう。「かたち」は「古い」くて常に「新しい」とは、そのような事情があるからではなかろうかと思っている次第。
 (つづく。 次回は「葬儀などの供養というかたちにつて」考え直してみたい)

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「さくら狂詠」

あすひらく花としもへば我慢もし

妻を呼び今年の花を仰がしむ

みな逝きて帰らぬ花にあそぶかな

夜はそこにざはめいてゐる花篝

天上に漁るごとし花筵

さびし世の花人として放たるゝ

花の雨愛を知らざる眼や冥き

死ぬる世の花に空あるさびしさよ

愛し合ふ肩越しにある花の夜

なほ奥に花の闇あるさくらかな

夕暮れの桜並木が歩きたがる

狂ひ咲く桜に夜の奈落あり

散る花の夜の深さをおもひけり

花あれば呼ばれしごとく歩み寄り

仏弟子を呑みこんでゐる山桜

花霞みをり生き過ぎたかもしれぬ



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