再生への旅

アクセスカウンタ

zoom RSS 花と無心

<<   作成日時 : 2013/04/08 04:45   >>

トラックバック 0 / コメント 0

画像


あけぼのや浮かび出でたる初桜 玉宗

能登の地にも春の息吹がそこかしこに感じられるようになった。
例年より寒い日が続いたのだろうか、桜も漸く咲きだした。昨日は全国的な春の嵐に見舞われたが、遅く咲いたお蔭で、お寺の桜は散ることもなかった。あっという間ではあろうが、これから桜の日々が数日楽しめる。花の下で俳句もできるし、畑作務に汗を流すこともできる。

境内の草木もこれから生気を増して芽吹きが加速するであろうし、きれいな花を咲かせてくれることであろう。顧みれば、境内の草木は震災復興後に新たに植えたり、移植したりしたものが多い。私の目にはそれらの草木が境内の環境に適応するのに苦労している様子が窺える。

それでもそれなりに無心に咲いてくれる花々であるのが泣けてくる。庭作りのいろはも知らない私のような者に会って草木も災難なことであろう。

画像


基本的にはあまり「いじくり回したくない」といった無精さが私には潜んでいる。これでも草木に囲まれて生きていたいという自然派の自負を持ってはいるのだ。然し、如何せん、思う事とやっていることの乖離が甚だしい。知恵不足なのだろう。あっちへ植えたり、こっちを掘り起こしたり、伐ったり絶やしたりして数年が過ぎた。禅寺の庭というにはいま一つ、どころか二つも三つも満足していない。

花は一年、木は十年というらしいが、私という馬鹿は死ななきゃ直らん一生ものである。
そうではあるが、馬鹿は馬鹿なりに花に対する謙虚さがないことはない。出来ることなら、蝶のように無心で草木を訪ね、我を忘れ、癒され、励まされ、一体になり、再生したいと願ってはいるのだが。俳句にうつつを抜かして草木に無心に対するのはいいが、その管理までが夢うつつとなっている節が大いにある。間抜けな所以である。

画像


「初桜」

温みたる水が巌を濡らしをり

虎杖や胸の高さに海を恋ひ

己が枝に花を背負ひし雪柳

仏にも憤怒の相や春の闇

沈丁の花に籠りて人を待つ

地にとどく狸のふぐり虚子祀る

花の雨一人に慣れてしまひけり

花曇り空の機嫌を損ねたる

面影の花大根や母なき世

たやすくは怒りほどけぬ田螺かな

夜桜や恥辱の闇に包まれて

蝶がきて馬酔木の花に迷ひをり

真つ先に裏の古巣が暮れ残り

春潮や灯台いつも沖を向き



ランキング応援クリック
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 禅・坐禅へ

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人間・いのちへ

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
花と無心 再生への旅/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる