再生への旅

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zoom RSS わが安名の由来?!

<<   作成日時 : 2013/05/12 04:36   >>

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夏草や経文眠る蔵の中 玉宗


実は高校生の頃、一時期サッカー部に入っていた。そして、同時期野球部とテニス部にも所属していた。部活を三つ掛け持ちしていたのだから我ながらいい加減なものである。因みに、中学生の頃はバレーボール(9人制)。どうも昔から球遊びが好きだったらしい。

で、今日の本題はその「玉」。得度式でお師匠さんの板橋禅師から戴いた仏弟子としての名前(安名・あんみょうともいう)が「玉宗」だった。戒名でもあり、法名でもある。出家以前の「勇」という名前も、氏名の「山中」も、その後「市堀」に婿養子入りし戸籍変更をしたので、一切使われなくなった。

ところで、得度式では、その日までお師匠さんから「安名」を知らされていなかった。厳かに始まった式の中で、師匠が安名を読みあげる件がある。

「安名!・・・・ぎょくしゅう」

そして、安名の印された「血脈」を戴くのである。

「玉宗・・・ぎょくしゅう・・ぎょく・・たま・・たま・・・・たまかよ・・・」

正直なところ、その時はそんな勿体無い、不遜な感慨が脳裏を過ったものだ。

「よりによって、玉はないだろう・・・いや、まてよ、玉の如きキラリと光るものがおれにはあるのか?それを大事に精進しなさい、ってことなのかな・・それにしても、玉か、猫じゃあるまいし。」

まあ、それでも不満顔などおくびにも出さず、それから間もなく私は初めての僧堂安居へ喜々として旅立ったのである。
爾来、「玉宗」で通してきたわけであるが、猫みたいな名前だな、などという私の思いはどこかへ雲散霧消していた。そんなことはどうでもよかった。僧堂では「玉ちゃん」と親しみを込めて呼んでくれたし、私自身も悪い気はしなかった。

それにしても吾が人生は「玉石混交」のドタバタ劇のようなものだった。「玉」とは何であるのか、「玉」を「宗」として生きるとは如何なることなのか、未だに覚束ないものがある。
三十年になろうとしているわが半生を顧みるに、さすがに師匠は人を見る目がお有りなのだなあ、と感じいる昨今である。「お前の仏弟子としての一生は、仏様から戴いたその玉を輝かさせて生きる事なのだよ」と、お師匠様はお考えになり、安名を授けて下さったのだろうと、今にして思い知るのである。

因みに、曹洞宗では得度の際に道号(どうごう)と呼ばれる、謂わば道を悟った証明として号も一緒に授けることが多い。私の場合は「雲門」であった。私の仏弟子としてのフルネームは「雲門玉宗」なのである。私が死んだ後の位牌には恐らく次の様に刻まれることがほぼ決っている。

「興禅寺十二世雲門玉宗大和尚 品位」

ん〜、如何にも偉そうだな。しかし、知る人ぞ知る「玉ちゃん」なのである。そんな本名で呼んでくれる人だけが心から掌を合わせてくれるだろう。

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「夏蝶」

夏蝶や光りと消ゆる空の果て

したたかに夏蝶といふ夢が舞ふ

ぱたぱたと砂丘を超ゆる子亀かな

海亀に父を背負はせ押し出しぬ

蝙蝠や油のやうな長良川

鹿の子や虹のやうにも跳んでみせ

蟾蜍泥の眠りの覚めやらず

鴉の子夕陽を食べてしまひけり

白鷺のそこはかとなくあからさま

かがよふてあふちの花のけぶるかな

麦秋や星の名前の汽車に乗り





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