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zoom RSS 本音で語る?本音で生きる?どっち?!

<<   作成日時 : 2013/05/18 04:11   >>

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妻といふ母とはちがふ木下闇 玉宗

自称か他称か知らんが、「本音で語る」政治家が物議を醸して世間を騒がしているらしい。
「本音」とは何か?なにもかも「本音」でなければならないのか?「本音を語る」ことの善悪といったものがあるのかどうか。「本音で語る」ことがそのまま「本音で生きている」といった真相に繋がっているのか。

若いころ、私はある女性に「あなたは人のこころに土足で入り込んでくるわね」と冷笑されたことがある。又、ある上司に「お前は馬鹿正直だ」と嘲笑されたこともある。ある俳人に「玉宗さんは人間たらしだね」と褒められたこともある。要するに私という人間は人情の機微に鈍いのであろう。

三つ子の魂ではないが、どうも「胸に秘す」といったことに我慢しきれないところがある。他言無用を反古にすることがよくある。お天道様の下で嘘偽りなく、真っ裸で生きていたい、といったべらぼうな志のようなものもある。
その一方で私の中には死んで墓の中まで背負っていかなければならない闇のようなものもある。私の「本音」。それは人によっては毒にも薬にもなろう。というより、私自身にとってそれは薬にもなり、自家中毒の因子ともなろう。

「優しいのはいいけど、大雑把に過ぎる。いい加減。何を考えているのか解らない。ときどき怖くなる」というのがわが夫人の観察結果である。私は夫人には今現在「隠し事はしていない」と言い切ることが出来ない。90%ほどはあからさまにしているつもりであるが、全部とまでは言い切れまい。それにしても九割以上を知らされている夫人もまた辛いものがあるのではなかろうかと思うようになった。知らされた方の困惑、迷惑、絶望感といったものがある。嘘も方便。隠して置くことが善といったことが人生にはあるようだ。

だいたいが「本音」といったところで、それはたかだか「私の本音」ではないか。例え、政治家といった公人の立場の「本音」であるにせよ、妻の尻に敷かれながら生きているような夫の「本音」であるにせよ、それは相手があってこその「本音」であり「嘘」であり「建前」であろう。私自身にとってはすべてが「本音」であり「嘘」であり「建前」であるといった可能性を孕んでいる。「滅私奉公」という言葉があったが、凡そ「公人」たるもの、その言や「私的本音」である必要など望まれてはいないのではないか。

人が生きるとは言うまでもなく「社会的反応態」ということである。「本音で生きる」ことがそのまま「本音を語っている」といった裏付けにはならない。或いは逆に「本音を語って」いることがそのまま「本音で生きている」という証左になるのかどうか。ことはそう単純ではなかろう。言えることは、生きることにほんとも嘘もない。ときに「本音」や「嘘」や「建前」を語る「ゆれている、愚かな私」がいるのである。

それを自覚している私などは「公人」といった世界へ足を踏み入れる気などさらさらない。まして政治の世界などまっぴらごめんである。これこそがお坊さんをしている所以であると言って一向に差し支えないと思っている。これなどは多少負け惜しみを含んだ本音である。実に人間とは一筋縄ではいかない代物なのである。

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「日傘」

日傘して母の知らざる父の客

妻といふ母とは違ふ木下闇

鈴蘭や潮騒止まぬ耳の奥

衣更へ愚かに過ごすきのふけふ

眉にきて漣したる南風

閨房へ繋がつてゐる葎かな

海原にひとり息継ぐ正覚坊

木になれぬ腹いせ竹は皮を脱ぎ

鴉の子そろそろ言うてきかす頃

夢覚めて麦秋の旅なほ続き





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