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zoom RSS 今日の屁理屈・住職はお寺に居るのが仕事?

<<   作成日時 : 2013/05/20 05:06   >>

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妻よりほかに頼るものなしあやめ咲く 玉宗

実は一昨日の朝から夫人が留守をしている。

お稽古事の全国大会ということで泊まり掛けの研修に参加しているのだ。今晩遅く帰るらしいが、電話の一本もよこさない。一体何様のつもりなんだか!

「好きな事ができて嬉しいでしょう?」とは出発前の夫人の言であるが、一緒にいても好きなことをしている私にしてみれば、それは言い掛かりに過ぎない。好きなことをしているのは夫人の方ではないか。夫である私は留守番をしているのだ。お寺を開けて行きたい所へ行くことも出来ない。俳句の吟行もままならないのである。まあ、確かに限られた空間の中で気がねなく時間を過ごすことはできるのではあるが、気がねのなさも度が過ぎれば碌な事がない。不安でさえある。それにしても実につまらない、そして淋しい三日間を過ごした私である。夜、蒲団の中で夫人無き人生とは如何なるものなのだろうかと思いに馳せたりしている始末だった。

「住職とはお寺にいることが仕事なんだよ」

どなたが仰ったのか知らんが、まことしやかにそのような口伝があるとかないとか。一理あるとは思うが、それは住職たるもの、常にお寺の管理維持、檀信徒への教化・関わりを失念してはならないということを諭しているのであって、そしてそれは当然のことであり、私にとっては言うまでもないことである。

そうではあるが実際のところ、お経を挙げたり「行」の本筋以外の細かいところはほとんど夫人に丸投げ状態である。挙句に俳句などというヤクザな世界に手を染めている。そのような暮らしが20年以上も続いて来たのである。禅僧と言えば「一人でも生きて行けます」といった大丈夫の漢といったイメージがあるが、私などはとてもとても、このままでは一人暮らしなど、直にへこたれてしまい、もう一度出家する破目になるだろう。

それにしても夫人がいなければまともに暮らしていけないとは実に情けないお坊さんではある。それもこれも、好きな事だけして生きてきた付けを夫人に背負わせているということなのかもしれない。そう思えば、実に申し訳ない。留守番がつまらない、などと愚痴っては夫人に呪われると言うものである。(−−)

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「キャベツ」

星のあと日がまた過ぎる玉菜かな

甘藍の露をこぼして収穫す

甘藍の露に犇めくあさぼらけ

甘藍に骨箱ほどの重さあり

おほかたは尻に敷かれて涼しさよ

雨音の底に目覚めし昼寝かな

月の海仄かに白き花とべら

牡丹散りさながらよべの別れかな

虎杖の花に雨降る海難碑

玉葱の皮むく妻に嘘を吐き

遠目にも金雀枝の黄の憤り

鄙びたる去来の墓へ竹の皮










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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
先ほど夫を病院へ見舞った時のこと、夫の隣のベッドの人が昔、興禅寺の近くらしいところに疎開していた人でした。その疎開先の人は総持寺の檀家さんらしかったです。

そうですか、そんなにご夫人様とご一緒の方がいいですか。私など「亭主元気で留守がいい」と思っているのですが。生憎今は元気じゃなく留守なものですから。
花てぼ
2013/05/21 21:22

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