再生への旅

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zoom RSS 北海道の旅・その2「生まれ故郷へ」

<<   作成日時 : 2013/05/29 04:52   >>

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いたどりの花高々とわが生地 玉宗

北海道旅行の後半。
室蘭の法要随喜を済ませ、その日の夕刻に道南の大沼に着いた。公園内のホテルに宿泊。白樺や楢の林に囲まれた環境が如何にも北海道である。鹿や狐、熊の出没は言うまでもない。言わば共存している。自転車を借りて夫人と二人でサイクリングコースを早朝に走った。霧がかかり、些か肌寒い中を傘をさしながらの危険運転である。早朝でもあり誰も歩いていない。まあ、自然を独り占めして、やりたい放題。

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大沼から一時間ほど恵山方面へ南下すると、私の生地である「南茅部町」。南北に細長い漁業の町である。「白口浜の献上真昆布」で有名。昭和に発掘された日本最古の縄文式土器遺跡があることでも注目されるようになったらしい。数年前に函館市に吸収?町名は今では使われていないらしい。早速、本家の墓地へ足を運んだ。旧字名は「ポン木直」という。「ポン」はアイヌ語で「小さい」という意味。北海道の地名は多くはアイヌ語を意訳、音訳したものといってもいいのではなかろうか。近くには「ピリカ浜」というところもある。「ピリカ」は「かわいい・美しい」という意味だろう。私の小さいころの記憶にもアイヌの方が住まわれていた記憶がうっすらとある。

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以前は畑だった山里に家がいくつも建っていて驚いた。海岸添いを避けて、山里へ家を建てるようになったのだろう。山里を縫う道の途中に地域の墓地がある。墓の数も少なくなっていた。夫人と共にわが本家の墓に手を合わせる。

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小学校まで4キロ、中学校まで8キロ、高校まで12キロを通学した。中高は自転車だが、小学校は歩いた。歩くのが当たり前だと思っていたのだろうし、登校や下校が辛かったという記憶がない。それどころが道草の楽しさといったようなものがある。道中をああでもないこうでもないと草や木や海や山や空や雲と会話しながら歩いていたのであろう。その小学校も既に廃校になっていた。

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私の実の父母はすでに亡くなっている。家を継ぐこともなかったので、二人が居なくなったあと数年前まで村の人が貰い受けて住んでいたらしい。その家も今では取り壊されて更地になっていた。後ろは岩山がそそり立っているのは昔の面影があるが、土砂崩れ防止工事が施されて裏山へ上ることも出来なくなっていた。夢にまで見ていたものがそこには殆ど痕跡がなく当に夢でしか存在しないものとなっているのであった。

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わが家はなくなっていたが、隣の家は残っている。二つ年下の当主は、幼馴染でもあり、気心も知れている。家業を継ぎ立派な漁師になっていた。お昼ごはんを御馳走になり、昔話にひとときを過ごした。
別れ際に「良い物を見せてやる」と言う。納屋から持ってきた一枚の油絵。
思わず赤面してしまった。私が20歳のころに描いた自画像である。どうしてこの家に残っているのか解らない。おそらく当主が欲しいと言ったのだろう。

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ピカソかセザンヌばりのタッチであるが、目の焦点がおかしい。如何にも人間不信、自己不信の表情ではないか。こんな顔をしていきていたのであろう。まだまだ、人生に迷い、選択も出来なかった、出家前の私である。帰郷してこんな自分に再会するとは思わなかった。

それにしても捨てることもせず、大事に保管していたとは当主の人間の良さを思ったことである。

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地元には私と同い年の従兄弟も漁師をしている。
年間を通じて養殖昆布の生産に関わっている。今では天然昆布より養殖昆布の生産高が圧倒的に多いのではなかろうか。定置網や天然昆布漁だけでは生活していけなかった昔、冬場は出稼ぎをする家が多かったのである。養殖昆布をする家が増えて出稼ぎをすることもなくなったらしい。できることなら地元の豊かな自然の恵みの中で町民全てが暮らしていけるようになってほしいものである。

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漁師は海という自然相手のくらしである。この日も久しぶりの凪となり、日曜ではあったが早朝から海へ出て仕事をしていた。私の帰郷を知って仕事を中断して港まで戻ってきたのであるが、お互い時間的余裕がなく、船を着岸したまま久闊を叙したのである。今年植え付けた昆布の種が海水温の上昇で全滅したため、もう一度やり直しているのだと言う。

伯父さんを数年前に亡くしている。80歳を過ぎた母親と共に、天気の良い日はお昼も海上で済ませ、夕方まで仕事をするのだという。小母さんも体が心配だが、日焼けと言うにはどす黒い従兄弟の顔は、肉体的にも無理をしているのではないかと心配でならなかった。ぶっきら棒で、お世辞の下手な漁師の気質から、改まった挨拶も出来なかったが、一時間ばかり話をして又沖へ出て行った二人である。息災で、円満な暮らしを祈らずにはいられない。

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茅部を後に函館へ。札幌まで汽車で戻り最後の宿泊。翌日千歳空港から小松へ帰った。
どちらかと言えばお天気に恵まれた旅であった。北海道と能登。飛行機ではひとっ飛びであるが、機会がなければいくこともない遠さがあるというのが実感である。目出度い機会であってくれればそれに越したことはないのだが、最後の別れの為の帰郷となる日も覚悟しておかなければならないのが現実であろう。

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「走り梅雨」

賄ひの厨うろつく走り梅雨

走り梅雨消しゴムの滓まるめをり

青田風畳の上に寝てをれば

ほととぎす一人に慣れてしまひけり

不如帰谷を落ちゆくものの声

薔薇咲いてめつぽう強き朝の妻

旅やかなしも麦の秋風渡るとき

青葉木兎森の歩哨のうつらうつら

鴨の子の一目散やすぐ止まる

降らずみの空のしづけさ花菖蒲

逢ひたくて雨も厭はず杜若






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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
故郷への旅、読ませていただいても感動的でした。20歳の時の絵からも、どっと思い出が広がって行かれたのではないでしょうか。しかもその絵はご友人の方が持っておられてこそでしょうね。
花てぼ
2013/05/29 09:34
あの「ポン木直」ですね。小学校は4キロ先でしたか。函館への帰り道で、かわぐちえいこうさんの店「サーフサイド」前を通過されたのでしょうか。
志村建世
2013/05/30 00:05

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