再生への旅

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zoom RSS おまえはどっちを向いて生きて行くのか?

<<   作成日時 : 2013/05/05 04:47   >>

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花はみな空恋ふかたち夏隣 玉宗

危うい命を戴いて生きている人間。思う通りにならない人生。私たちは諸行無常の、そんな条件から学んで行かなければならない。仏道はそのような人生を、どう生きていくのかと自問自答している。

おまえはどっちを向いて生きて行くのか?

一寸先は闇。それは事実である。人生は当に「夢」といって過言ではない。過去も未来もあってないようなものである。そうではあるが、かけがえのないいのちの積み重ねであることを否定できないし、否定しようもない。
命はつながりながら、切れている。今のいのちの事実の中に過去現在未来が胚胎している。一体している、表裏している。それをしも闇とは云うのである。

おまえはどっちを向いて生きて行くのか?

仏の方を向いて生きて行くとは、そのような一寸先、一寸後の闇の世界を、自己が灯しとなって輝いて歩むことにほかならない。今の、命の実相をしっかり見極め、戴き、施し、尽くす、それをありのままに生きる仏道人とは云うのである。

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いのちは比べなくていい。くらべたところでいのちそのものがどうなるものでもない。生死表裏一体の事実があるばかり。だれ一人の例外もない、そのようないのちの宿命を戴いて生きている。「無一物」を担い来たり、担い去る。

「無一物」とは「今のいのちの実相」を言っている。いま、ここに、息をしているいのちとはそれほど豊かで、深いものである。私の思いが捉えることができるほど「いのち」とは小さい世界のものではない。私の勝手でどうにかなるものではない。手付かずのなんともない「いのち」に充たされている。それをしも「自在」とはいうのである。

仏道というも、そのようないのちを、真っ直ぐいただくことに尽きる。

「いのち暮らし」ともいうべき、仏の方を向いた生き方。命大事に。

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「寺山修司忌」

花はみな空恋ふかたち夏隣

明日といふ荒野むさぼる五月かな

春の園少年脱皮してをりぬ

寺山忌空の奈落を恋ふる日ぞ

母といふ菜の花地獄寺山忌

徒なる世を戻り暮春の手を洗ふ

人に逢ふ空の眩しさ花水木

菜の花の花の閊へし花の奥

のどけさに何かが思ひ出せずをり

春夕焼渚に父を置いて来る






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