再生への旅

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zoom RSS 峨山禅師生誕地

<<   作成日時 : 2013/06/24 03:48   >>

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山賊が裔なる里の河鹿かな 玉宗


6月23日は曹洞宗總持寺の二代様峨山韶碩禅師の生まれた日である。生誕地の石川県津幡町瓜生では毎年町民と能登の宗門御寺院が集い、そのご遺徳をしのぶ法要が執行される。<津幡町観光ガイドhttp://kankou.town.tsubata.ishikawa.jp/event/e_detail.php?id=24

私が祖院に出仕していた頃は何度か随喜したが、例年自坊の行持に重なり出席する事が叶わない。それでも夫人は祖院の御詠歌講員として毎年参加している。昨年からは弟子も加わり、参加していないのは私だけ。いささか面白くないが、まあ、寺を空ける訳にもいかない。

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さて、峨山禅師といえばその健脚ぶりが「峨山越え」という修験道並みの足跡が伝わっていることで有名である。実際のところ「峨山越え」と呼ばれる行持も「修験道」と重なるところが大いにあったのではなかろうか。生誕地の「瓜生・うりゅう」と言うところは石川と富山の県境に近い山奥で、清流に河鹿の声が響き渡る秘境の地でもある。禅師御在世往時と変わらないであろうと思われる山水経が今に響いている。このような自然豊かな山奥で育った峨山禅師には出家する前には山賊であったというような伝説さえ実しやかに伝えられている。

山賊云々は根も葉もない噂だとしても、峨山禅師には清濁併せのんだ修験者然とした自然児にして平民感覚を駆使した人物といったイメージがないことはない。臨済将軍、曹洞土民と謂われるそのイメージの淵源には生まれ育った自然風土の匂いを漂わせて教線を拡大していった峨山禅師の魂の故郷と大いに重なるところがあるのではないか。故郷の土と水と風の匂い。奥山の隠れ家の上にも煌々と澄みわたる両箇の月。

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都の権威や中央政権の呪縛を避けて、名もない平民の暮らしの中へ寄り添っていった宗風が連綿として引き継がれていったのではなかろうか。淵源が豊かであればその裾野が潤うように、現代の宗門の隆盛は開宗当時の福田に植えた種があったればこそである。世に世界遺産と呼ばれるものがあるが、このような宗教の関わり方が日本の風土とともにあることは間違いない。神仏への関わり方そのものが生きた宗教遺産と言ってなんら差支えなかろうと思う。

峨山禅師様の伝道精神には清濁併せのまなければ厳しい現実を生き抜いていけなかった土民への慈悲があったのではなかろうか。そこには人生を知りつくした人間の逞しさと優しさが窺えるといえば宗門人に叱られるのであろうか。(以前の記事に加筆修正しました。市堀)

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「蜻蛉生るゝ」

蜻蛉生れ遙かなものにふるえをり

蜻蛉生れまだ翳もたぬ空の色

生まれたることにとまどふ蜻蛉かな

日盛りの戸口巨大な僧の影

フクシマは寡黙に夏を傷つきぬ

ヒトといふ絶滅危惧種虹立ちぬ

血を濯ぐ沖縄慰霊の日や炎ゆる

とめどなく空を欺き栗の花

素麺の汁が足りない倦怠期

白玉や甘く切なき母とゐて






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