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zoom RSS ある仏弟子への手紙

<<   作成日時 : 2013/06/02 05:00   >>

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梢吹く風にまどろむ安居かな 玉宗

前略、お変わりありませんか?
制中ももうすぐ折り返しですね。法戦式のことなどで落ち着かない日々を過ごしているかも知れませんが、脚下照顧を忘れないように。愚痴や不満を抱くようになってはいないかと心配しています。夏期接心で身も心も落ちつけて、安居後半への微調整をしましょう。

ものごとはなるようにしかならないのですし、あなたがとやかく言ったりしたりする立場でもありません。精一杯生きることと見栄を張ることは土俵が違います。見栄や無知で、周りの人たちの顰蹙を買うことのないように。先走らず、先輩、役寮さんの指示を乞い、それに随って下さい。貪り、怒りは身を滅ぼすものです。自分の世界を狭くしてしまうものです。
前にも言ったように、自己主張しすぎないこと、負けてもいいのです。知ったかぶりせず、真っ直ぐに人と対し、自己に対してください。

安居中はいつもでも、どこでも己を空しくして、自己の深みを探り、学んで下さい。他の塵境に去来している暇はありません。他者の出来不出来に振り回されることのないように。だれもがあなたと同じ内実をもっている訳でもないのですし、だれもがあなたと同じ能力で進退できる訳でもありません。競争など無意味なことです。

修行の価値は大衆の数の多寡に関係ありません。多かろうが、少なかろうが、常に自己ひとりに切り込んでいかなければなりません。

自己には厳しく、他にはやさしく、寛容に。

この初心を忘れることのないようにして下さい。併せて、人が見ていようが見ていまいが、人として、仏弟子として、やるべきことはやり、してはならぬことは絶対しない、といった良心、誠に生きてほしいです。

堕落し、人生を投げ出し、明らめることは簡単です。いつでもできます。それでいいのですか?修行は一生のものです。完成といった妄想は懐かないことです。今しかない。今に承当する。今を使いきる、今を生き切るその繰り返し。それが修行であり、それが忘れてならない初心なのだと思います。

結果は先回りしてどうにかなるものではありません。常に「今、ここの、いのちの事実」に切実に承当するばかりなのだと思います。過程と結果、因果同時としていのちを受け取って、施して下さい。

今に生きず、よそ見をして右往左往することを妄想とは云うのです。それでいいのか?ということです。修行は自己に深まることです。無心を身につけることです。欲を膨らますことではありません。

自己を大事に、くれぐれも見当違いの修行をしないように祈ります。合掌。



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