再生への旅

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zoom RSS 布施は人の為ならず

<<   作成日時 : 2013/06/30 03:52   >>

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白雲の行方も知れぬ安居かな 玉宗


世に言う「情けは人の為ならず」は、人のためにならないから情けをかけるべきではないとか、結局は自分のためなのだから情けは大切なものだとか、世間では二通りの解釈があるらしい。

「情をかける」という行為も一つの「布施」であることは相違ないだろう。身と口と心の三業を以って貪りの世界に生きることもできるし、同じく三業を「布施」の世界に生きることもできる。人間は本来どのようにでも生きることが出来る可能性そのものである。可能性は陽ともなれば陰ともなる。黒ともなれば白ともなる。手が為すところの業も、信心の実践として合掌することもできれば、自他を傷つける妄想の因ともなる。

金銭は言うに及ばず、言葉一つ、眼差しひとつ、微笑み一つ、こころ一つでさえ惜しみ、貪る人間。心という目に見えないものに人間は結構誤魔化され、迷わされ、引きづられる。そして、一方では「もの」という目に見えるものに執着し、迷わされることも又多い。本来、ものもこころも、目に見えたり見えなかったりする世界も、ただなんともなくそうあるというだけのことである。人間はなぜか、ただそうある事実をありのまま受け入れることができないかの如くである。偏らず、貪らず、諂わず、身と心をまっすぐ生きることは容易ではない。

「布施」もまた人の為ではなく、自己のまっさらな世界を更に清浄にするための行為として捉えたい。「布施」は一見「一方通行」のように見えるが、実際のところは円相の世界の様子である。自他一体であるがゆえに、全ては自己の世界の様子であるがゆえに、本来貪る理由がないのである。認識以前にいのち足りている事実がある。

「布施」の実践。

それはお坊さんである私の生き方の本質であり、いのちの尊厳性の実践であり、自己の清浄な世界の表現である。布施は人の為ではない。私にとって生きることの意義はそれで十分でなければならない。


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  「蝉の穴」

漆黒のまなこを濡らし蝉生る

もう二度と帰ることなき蝉の穴

蝉生れ阿鼻叫喚の始まれり

夕さりし雨に匂へる茅の輪かな

風はまだ梢にとどまり夏茜

燦々と日は午にせまる沙羅の花

かかる世の空の高みに夏椿

ゆふぐれの瑞々しさやダリア剪る

満を持し月下美人の夜となりぬ

白雲の行方も知れぬ安居かな





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