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zoom RSS 撃ちてし止まん・湖西線の旅

<<   作成日時 : 2013/06/04 03:56   >>

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弔ひの近江の旅や山うつぎ 玉宗

今回の湖西への旅はお弔いへの出席が主な目的であるが、実は同地区に住んでいる兄弟子の見舞いも兼ねていた。同じ師匠を本師とする数少ない兄弟弟子なのである。年齢は80歳を超えており、兄弟子というより伯父さん的存在である。生まれも育ちも輪島出身であるが、初めて晋住したお寺が朽木の山奥だった。その後マキノ町のお寺に移り、現在まで至っている。この間、自坊を護持してきたことは言うまでもないが、宗門の専門僧堂で永く役職を勤めてこられた。数年間から体調を崩し、夫人も私も心配していたのである。

朽木に到着する前に市内の病院に見舞うことが出来た。痩せて、会話も少しままならないようにはなっていたが、昔と変わらない優しい人柄に、思わず手を握ったことである。傍らには奥さんと娘さんが介護で寄り添っている。僧堂に勤めていた間、奥さんは一人でお寺の留守番をしていた。苦労も多かったことであろう。その僧堂勤めも終えて、住職と二人で仲良く自坊に専念していたのであるが、数年前からの発病。住職本人も可哀想だが、奥さんも可哀想だ。それでも後継者も決まっており、ある意味穏やかな日々を過ごしているのだと思った。

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遷化された住職も兄弟子も、共に生まれ故郷を離れてお坊さんとして生きて来られた方々である。小僧さんの頃から厳しく仏の世界を叩きこまれてきた世代である。それぞれ立派に住職を勤められた根源に故郷の魂が宿っているに違いない。

それにしても、お坊さんの世界も人生の変遷、転変といったことは避けられない。そんな現実を目の当たりにした今回の旅。なぜか些か疲れたというのが正直なところであるが、私などまだ人生の仕上げは勿論、志半ばにも至っていない有り様である。後継者や檀信徒へ少しでも確かなものを遺せるまで、ひと踏ん張りも、ふた踏ん張りもしなければならない。こんなところでへこたれる訳にいかないのである。

「撃ちてし止まん」

撃つべきはわが人生である。死ぬまで修行。どうもそんな覚悟で生きていかねばならないようではある。


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「旅の途中」

弔ひの近江の旅や山うつぎ

道元の越ゑし峠や朴の花

夏雲や都へつづく鯖の道

琵琶湖てふ大きな甕の浮巣かな

麦秋の沖を過ぎゆく旅人かな

駅はみなさみだれ貌の人ばかり

若葉雨父が失踪してしまふ

飲み干して空の眩しきラムネかな

踏切に立たされてゐる夕焼けかな

雲水に拾はれてゆく鴉の子

日盛りへへしこ茶漬けを掻きこんで





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