再生への旅

アクセスカウンタ

zoom RSS 家族葬についての雑感

<<   作成日時 : 2013/06/05 04:15   >>

トラックバック 0 / コメント 1

画像


端居せる妻がてのひらほど遠く 玉宗


先日室蘭へ行った折に、住職との話題になったのが「家族葬」という社会現象である。
彼の地においてもここ数年「家族葬」が増えているらしい。お坊さんである私がこのようなことを話題に乗せると如何にも手前みそな結論を予想されるかもしれないが、そのような予断を承知の上で些か気になることを述べてみたい。

恐らくバブル崩壊後に顕著になったことなのだと思うが、「虚礼廃止」とか「生活改善」という名目で様々な宗教儀礼が「改革」されて来た歴史がある。「家族葬」もまたそのような流れの最先端の「流行」なのであろうか。或いは又、違う文脈での社会現象なのだろうか。現象の背後に看過できない社会の歪み、狭小化が進んでいはしないのか。

結論を先走ってしまった。
葬儀は「宗教儀礼」であると共に「社会儀礼」でもある。どちらか一方だけで成り立つものでない。「宗教儀礼」の「改革」は「社会儀礼」の「改革」ともなる。
家族だけで「死者」との訣別の儀を執り行うには、経済的負担の改革も盛り込まれているのだろう。地域によって違うとは思うが、特に田舎で行われていた従来型の「村を挙げての葬送」では、香典やもち寄りの施物で遺族は大きな出費もなく、地域社会への恩義をそれなりに返せていた筈である。それ以前に、地域そのものに、死者を送るのは地域で共に生きてきた人間の当然の関わり合いであるという暗黙の了解があった。生老病死を助け合うという暗黙の施しがあった。結果的に「家族葬」の方が遺族の出費が嵩んでいるという指摘がある。

ところが現代社会では「地域を挙げて」という意識が希薄となり、社会とは家族にとって生活を維持するための経済的必要悪のような代物になった。家族の生老病死は社会への「経済的負担義務」を果たせばいくらでも叶えられるものだという思い込みがある。そのような遺族にとって葬儀屋はまさに救世主なのであろう。それもまた現代の迷信と言ってよいのではないか。

画像


この世で当てになるものとはなんだろうか?ある意味現代は「不信社会」ではないのか。
生きてあるわがいのち、わが家族のいのちは、家族だけではないことは勿論のこと、有縁無縁の支えがあってのことである。という現実への目覚め。それもこれも私自身の世界の広さ次第である。

絆は太く短い方がいいという見解もあろう。経済的理由で小さな葬儀をせざるを得ないという方もおられよう。それがそのまま社会的関わりの薄さを証明しているとは言わないが、思えば、「葬儀」を出すということは家のひとつのステイタスではあったのだ。その挙句に、人並な葬儀を出したいという人情を逆手にとって来た社会の暗黙の悪意がなかったとは言い切れまい。そういう意味では「家族葬」という社会への儀礼のあり方も解らなくはない。「家族葬」ができる家も又社会的ステイタスを勝ち得ているのだろう。

僧侶の側から言えば、檀家の少ない寺では他のお寺の葬儀に顔を揃えることで布施を戴いていたのだが、「家族葬」では僧侶も一人で執行されているようで、二人も三人もお坊さんは要らないということになる。ここにも「不信社会」の顔が覗いている。当に私の寺のようなお坊さんにとっては常什に影響する。お寺の世界では葬儀や法要などでお互いに数を揃えてお寺を維持する互助の現実がある。そのような側面から今後、お寺の護持は愈々険しいものとなって行くのであろう。それも時勢の然らしむるところで如何ともしがたい。なるようにしかならんのだろうと諦めている。霞を喰って生きていくしか手がなくなったらその時は潔くお寺の看板を外すしかあるまい。

仏道は葬儀に呼ばれなくても歩まなければならない道に変わりはない。

画像



「洗ひ髪」

よきことのなかりしけふの髪洗ふ

洗ひ髪阿修羅に夜を引き摺られ

ははそはの母に艶あり洗ひ髪

梢吹く風みてをりぬ洗ひ髪

端居せる妻がてのひらほど遠く

夏蜜柑貪る妻の怒りかな

白壁の葉影おそろし昼寝覚

寝転んで空は底無しハンモツク

割烹着の母は最強桐の花

種を取るために喰らひし枇杷かとも




ランキング応援クリック
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 禅・坐禅へ

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人間・いのちへ

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
私の住む諏訪地方には、門悔やみという習慣があります。葬儀(寺院葬であれ出張葬であれ)の当日早朝7時〜8時喪主宅にて弔問を受け付けます。玄関前に遺影と香炉を置き焼香して頂きます。家の中にあがることはありません。このとき香典返しの作業は隣家の皆さんが行う習わしです。香典の金額なども町内会・自治会の申し合わせ事項、取り決めがあります。喪主、弔問者双方の負担軽減が目的です。本葬に参列するのは親族とゆかりの深い方々が中心です。
閑話ノート
2013/06/05 07:46

コメントする help

ニックネーム
本 文
家族葬についての雑感 再生への旅/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる