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zoom RSS 拝啓、良寛樣 「その日暮らしのススメ」

<<   作成日時 : 2013/06/06 04:53   >>

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ふるさとを離れて生きる更衣 玉宗


拝啓、良寛樣。

良寛さまの周りにはいつも子供たちがいました。子供達が朝も夕方も懐くようにやってくる。それを一つも煩わしいと考えずに子供たちと一緒になって遊んでおられました。遊ぶというよりそれが良寛さんの一日の暮らし方でした。一日に大部分をそうやって暮らしておられました。また、子供達と一緒に朝から晩まで、村人が畑を手伝ってくれと言えば、畑の中に入っていきました。時には草引きもし、家の手伝いもなさいました。月夜の泥棒に黙って蒲団を盗ませてやりました。墨がなくなると空へ筆をなぞらえました。庄屋の放蕩息子へ無言の涙を以って諭されました。食べるものが底をつくと、ときには門前の信者さんに無心する事もありました。

新潟は雪深い所で七十を過ぎた良寛さまには大変だったと思いますが、良寛さまは貪ることもなく、縁に随って日々を過ごされているようでした。これは、今の私共がやれ修行をしております、やれ勉強をしておりますといっても足元にも寄りつけない解脱した生き方です。真に自由自在な生き方。ひろやかにして。まぶしくも、厳しい孤独な世界。

今の時代はなにかしら忙しい事が待ちかまえて、その波に乗らなかったら自分が損をしたように思ったり。一日の暮らし方は色々ありますが、目先の忙しさで人生を全て消耗してしまうのは、貧しい生き方ではないでしょうか。そんな時に良寛さんの生き方は誰でも真似が出来るとは思いませんが、一つの指標にはなります。

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誤解を恐れずに言えば、人生に目的などありません。人生に意味など予定されてはいません。ほとけのいのちに生かされていることに目覚めてみれば、そのように言うしかない「いのちその日暮らし」と言ってよい豊かな今があるばかりではないでしょうか。仏弟子の生き方はまさに「その日暮らし」であると思うようになりました。

常ならぬ、一度きりの人生をどうのように生きたら後悔なく、充実して生きることができるか。自分の人生、命の使い方は本当にこれでいいのか。人生の一大事とは何なのか。人生の宝とは何なのか。だれもがそのような問を一度は抱いているのではないでしょうか。どの道を選んでも生から死への一本道を歩くことには違いありませんが、その道程の歩みを支える力となるもの、生きてゆく命の糧となるものを求めるのも又人の命の定めであろうかと。

私が本来歩むべき「仏弟子」の人生の一大事・面目とは、お金儲けではありませんでした。名誉や肩書でもありませんでした。競争でもありませんでした。何かを着け足すことはなく、主義主張でもなく、略奪でもなく、大言壮語でもなく、人を誑かすことでもなく、そして単なる自己満足でもないようです。また、それは死なない事でもなく、、予定された何かをすることでもなく、やるべきことをしないことでもありませんでした。

あるがまま。自己の命を今、此処に使い切る。在りつぶれ。その繰り返し。何遍でも。常ならぬこの世を生きる、極めて単純にして永遠に真実な生き方。無一物にして無尽蔵なる「いのちその日暮らし」。
教条や宗派、主義主張、名聞利養が見事に抜け落ちている良寛さまの「その日暮らし」の生き様。それはやはり「仏弟子」としての理想の姿であると言わざるを得ません。能登の田舎の小さなお寺で四苦八苦していますが、私は今でも良寛樣をそう思って慕っているのです。合掌

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「芒種」

人影の揺らめき初むる芒種かな

働いて芒種の雨に打たれけり

よく晴れてなにやらさびし更衣

若楓風の渚となりにけり

花茣蓙や赤子転がす遊びして

きゆんと甘き木苺森に迷うては

昼過ぎてもめごと多し飯の汗

昼顔の聞きとどめたる断末魔

母を凹ます日傘の客でありにけり

青簾吊るして妻に褒めらるゝ




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