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<<   作成日時 : 2013/07/10 04:04   >>

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手を合はす四万六千日の夕闇に 玉宗

親にとって子の「自立」こそが孝行の最たるものと思っているのだが、子にとって理想の親、謂わば「子孝行の親」とは如何なるものなのだろうかと些か気になったりしている昨今。夫人に言わせれば「気のつくのが遅すぎる!」ということだが・・・・。

夫人の指摘では父親としての私は「かまい過ぎの傾向」があり、いつも傍にいてひやひやしているという。一言でいえば「親ばか」の典型ということらしい。又、お坊さんとしては余り行儀がいい方ではないことが弟子への悪影響になることを心配してもいる。「反面教師だろ!」といった私の言い訳は夫人には中々通用しない。彼女の危惧も分からないではないが、分かったところで今更どうしようもねえべ、という開き直りにいつも落ちついてしまう。吾ながら如何なものかと思わないではない。

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私と実父の関係を思い出してみるに、私は父や母に対して「理想像や子孝行」など求めてはいなかったようなのである。ただ、夫婦仲良く、私を愛していてくれさえすればそれでよかった。子は親が思う以上に親の全てを見、感じ、受け入れようとしているものだ。

割り切れない親子関係に謂れのない呪詛やハンデキャップを抱くのも事実ではあるが、それを差し引いても謂れのない愛情を親に対して求めている。恐らく、今の私に対して倅もまたそのような眼差しを向けているに違いないと、これもまた謂れのない「信頼感」が私にはある。

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父がそうであるように、子も又一期一会のいのちを生きている。諸行無常の人生を親子としてひとときを生きている。共に人生を学んでいる存在であるには違いない。先に生れたから偉いのではない。先んじて諸行無常を学んでいるという姿勢が尊いのである。

親が人生から学ぶことを止めた時、子は親に絶望するであろう。それは子自らの未来に絶望するに等しいからである。同情はするであろうが、それはつまり、愛とは謂われなく無償にして、且つ又、謂われなく奪い合うといった業の為せるところの悲喜劇であろう。仏道に於ける孝行、それは、そのような危うい欲望の彼岸にあることは今更言うまでもないことだ。人生がそうであるように、仏道も又、そんなに甘いものではない。

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「夏祭」

手を合す四万六千日の夕闇に

手をつなぐ母ゐて四万六千日詣

夕闇の鬼灯市を二人して

とつぷりと鬼灯市の闇に濡れ

声かけて妻を励ます宵祭

妹が形見のやうに夏祭

宵宮を戻れば母のあかるさよ

門に出て渡御待つ母の手をとりて

飯饐えて家族出払ふことをせり

律儀なる西瓜の重さかと思ふ

父といふ孤島に西瓜喰らふなり




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