再生への旅

アクセスカウンタ

zoom RSS 雨安居つれづれ

<<   作成日時 : 2013/07/13 04:07   >>

トラックバック 0 / コメント 1

画像


ねぢ花へきれいな雨後の声とどく 玉宗

雨安居も残すところ僅かとなり、例年ほぼ梅雨明けと重なっていることに気付く。
安居は本来、雨季の三ヶ月間寺に籠り専心己事究明に励むのである。ところが、わが身を省みれば北海道へ行ったり、滋賀の山奥へ入ったり、法戦式参拝への対応に余念がなかったり、ひとときもじっとしていなかったような有り様である。僧堂の安居とは比べものにならない体たらくではあるが、これも住職となったお坊さんの安居の実際ではある。

法戦式も終わり、僧堂も解制行持を残すのみとなった。弟子は今、どんな思いで過ごしているのか気になったりする。解会になっても季節の行持が控えており、来月は盂蘭盆会である。安居を経た清浄大海衆が山を下りて、檀信徒の供養に歩きまわる。一つの区切りを勤めたとはいえ、未だ始まったばかりの仏道である。半途にして退せず。何事もあきらめないことが肝要だ。諸行無常から学ぶとはつまりそういうことであろう。

仏の道は自己を究める孤独な世界でもあるが、それは孤立している訳ではない。世界は狭いようで広く、広いようで狭い。それもこれも自己の生き方次第。いつもただ今日を限りと思い、日々刻々を過ごして行くほかはないのである。誤魔化しの利かない世界だからこそ、生甲斐ともなるのであり、安楽ともなるのである。同行二人。仏と共に生きているわが身を思わなければならない。

安居とは何か?それは自己の正体を晦まさずいのちを戴き、施すことに尽きるだろう。雲水には雲水の精進するべき安居の場がある。住職には住職の精進するべき安居の場がある。他人事ではない、共に自己の眼睛裡の様子である。本来、妄想を離れている。身と心を落ち着けて本来なるところに生きていたい。

画像



「梅酒」

楽しみの少なき母へ梅酒酌む

おいらくの味の梅酒を好みけり

子蟷螂すでに気魄の構へあり

ゆふぐれは傷つきやすし韮の花

待つことのだんだん暗く水中花

合歓の花虹立つやうに湯のやうに

切株のごとく父をり夕焼けて

夕凪の渚を老いて歩むかな

初蝉や雑巾固く絞るとき

沙羅の花置きたるやうに散りにけり

散ることの空を傷めて沙羅の花

家を守る妻の定めの水を打つ







ランキング応援クリック
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 禅・坐禅へ

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人間・いのちへ

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
御意にございます。

墨子の名言を思い出しました。
「安居なきに非ざるなり、我に安心なきなり」
閑話ノート
2013/07/13 18:52

コメントする help

ニックネーム
本 文
雨安居つれづれ 再生への旅/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる