再生への旅

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zoom RSS 葬式祭?!

<<   作成日時 : 2013/07/20 03:55   >>

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渡御過ぎて犬猫渡り始めけり  玉宗

門前町には有形民族文化財とでもいうべき伝統的な奇祭がいくつかある。町内の門前・走出の両地区で毎年7月18日・19日に行われる例祭で、通称「ごうらい祭り」とも呼ぶ、全国でも珍しい神仏混淆の祭である。この祭りは、鎮守である櫛比神社の神輿が曹洞宗の総持寺祖院を年に一度ご機嫌伺いに訪れるという形式で行われる。

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18日の夕刻、神輿の行列が賑やかに太鼓や祭り囃子の音と共にかがり火の焚かれた総持寺境内に入り、出迎えた僧侶達の前で櫛比神社の祭典が執行される。儀式を終えた後に神輿は神社には戻らず「おかりや」で一泊する。漢字を当てると「御仮宿」となるそうだ。ちょうど興禅寺の筋向いの広場にそのおかりやは作られる。夜を通して各家では振る舞いがもてなされる。雲水時代には門前のおばあちゃんたちに御馳走やお小遣い!を貰ったものだ。

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 「ごうらい」とは、猿田彦の面をつけ、長い丸棒を持って祭りの行列の「露払い」をして、祭りのペースを整える人のことで、毎年両地区が交代で42歳の厄歳となる男衆が努める習わしがある。両日とも日中には、青年団と子供会による太鼓や獅子舞が、氏子の門口で舞い、太鼓を打ち鳴らして祭りを盛り上げる。私は氏子ではないが境内に入って貰い獅子舞を奉納して戴く。

「興禅寺さまより、おはな頂戴!寺門繁栄、家内安全、夫婦円満!ありがとうございました!」

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ところで、地元では「ごうらい祭り」を「葬式祭」とも呼んでいるという。
「葬式に祭り騒ぎとは何事か!という御仁も居られるかもしれないが、そんなややこしい話ではない。神仏混淆の由来を半ば揶揄的に、半ば親しみを込めてのことばであろう。

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しかし、これは地元のものが言い出したとも思えない。
お寺=葬式という安易な響きが感じられるが、まあ、それも面白いと言えば面白い。実際のところ、こころある町民の口からは「葬式祭り」という言葉は出てこないのだ。

こんな能登の田舎にも葬式仏教の濡れ衣が多少は及んでいるのか。神祇の場合はまだ境内において行事を執行するが、葬式は葬儀屋さんの斎場でするようになり、お坊さんは葬儀の一つのスタッフにすぎなくなっている。世間はそういう風にお坊さんを見ているのだろう。しかし、自然豊かな田舎は、まだそのような心映えにしても素朴なところがある。揶揄するにしてもしないにしても。

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そしてまた、本来、葬儀とお坊さんの関わりとはそのようなものなのかもしれない。お釈迦様は葬式のお布施で露命を繋いでではいなかった。いつの頃からか、いのちや人生の問題に口出しをするお坊さんに葬式の役が廻ったのであろう。誰かがやらなければならなかった。それはお坊さんでなくてもよかった?
将来、そうなるかもしれないと私は思っている。

葬式仏教を批判的に受け止めるお坊さんと社会がある。一方でその意義を尊重するお坊さんと社会があるのも現実である。ん〜 なんか不毛だなあ。世の中が世知辛くなったように思えて仕方がない。

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葬儀も祭りも、昔の人々はなんと、のびのびと、拘りなく、質素に、泣き、笑い、歓喜し、悲嘆にくれたことだろう!その対応力の柔軟さ、心豊かさに驚き、羨望を禁じ得ない。神と仏。褻と晴。陰と陽。生と死。そのおおいなる矛盾を見事に超越してる。その民族のおおらかさは世界に誇っていいのではないか。

神仏混淆、日本アニミズム、田舎万歳!!

 (以前UPした記事を補筆再掲しました。市堀)

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「土用入り」

土用入り妻に虐げられてをり

忘却の淵の暗さの水母浮く

夏霧を脱ぎはじめたる遠嶺かな

洋々と峡に夢みる合歓の花

だれもゐぬ仏間に西日入り浸り

炎帝に仕へし烏白光す

百日紅影追ふ日々のはじまりぬ

身投げせし乙女の声や百合の花

木槿咲く朝や叶はぬ夢いくつ

夏の夜の渚に人魚遊ぶ音




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