再生への旅

アクセスカウンタ

zoom RSS 慈悲とは何か?!

<<   作成日時 : 2013/07/04 02:27   >>

トラックバック 0 / コメント 0

画像


木下闇鯉に生飯撒く典座かな 玉宗

世に「仏の顔も三度まで」といった具合に、「慈悲」の権化の如くに期待されている「仏」の世界。観音様のような慈しみの深さ、といったものを人は人間性を越えた世界に期待している。それほど人限界は理不尽で、不条理で、過激なのであろうと思わないではない。

「慈悲」、その根幹は「人はどこまで赦すことができるか」ということではなかろうか。人を赦し、自己を赦し、生を赦し、死を赦し、無を赦し、有を赦し、一切皆苦を赦し、諸行無常を赦し、いのちを赦すことが出来るかということが試されていよう。又は「人はどこまで世界を受け入れることができるか」ということでもあろう。


本来やりとりのない世界で、我々は欲望の執着に駆られて人を傷つけ、自らを傷つけ、いのちを持て余し、弄ぶ。「赦す」とは何か?「償い」とは何か?すべてはいのちを以って赦し、いのちを以って償わなければならない土俵の話である。他者を受け入れることが出来ないのは自己を受け入れることのできないことと同義である。他を傷つけることは自己を傷つけることであろう。一心同体。異心同体。一心異体。異心異体。それもこれも実相であり、本来的にいのちをやりとりするのは二重の徒であることを知らなければならない。

仏道に於ける慈悲、それは紛れもない人間業であり、同時に紛れもない人間性を越え、彼岸へ向かわんとする離れ業なのであり、「慈悲」という「情緒」に流され、滞り、手をこまねくことではなかろう。身を捨て、心を捨ててこそ全てを受け入れ、全てであり続け、ありのままであり得る。大いなる自己のいのちを戴き、施す人生の一大事。私がそうであるように、他も又そのような大いなるいのちを生きていることへの覚醒がある。同時行がある。叱咤激励がある。愛語がある。我常於此切がある。不惜身命がある。但惜身命 がある。

仏道に於ける慈悲、それは単にお涙ちょうだい的な話ではない。どこまでも自己のいのちの深さへの目覚めの話である。

画像



 「闇」

風音の潮騒となり青葉闇

生前の記憶のやうに青葉闇

散り止まぬとべらの花や恋岬

いつもただけふをかぎりや茄子の花

豌豆のぐつぐつ煮えて母忙し

蕗の葉も赤子を包めるほどとなり

戦禍のごとく忘れバナナの黒ずみぬ

ぬばたまの夢ひた隠し羽抜鶏

夾竹桃魔が差す空の照り陰り

鼻唄の妻の機嫌や釣荵




ランキング応援クリック
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 禅・坐禅へ

にほんブログ村 ポエムブログ 俳句へ

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人間・いのちへ

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
慈悲とは何か?! 再生への旅/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる